【哲学者が解説】小学校の頃、「社会」が何のことか意味わかんなかった話

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「社会」の絵を描けますか?誰も描けない。描けるわけがない。

ども。哲学バカのきょうさん@q_ohhhですよ〜。

小さい頃、「社会」ってコトバが意味わかんなかった話です。

よくよく考えてみると僕らはこのコトバに、ぼんやりとしたイメージしかわかない。

ピチピチ跳ねる魚の姿を思い浮かべるようには「社会」の姿は浮かんでこない。

冒頭の画像はビルであって社会ではないです。

社会って想像できないんです。すげー抽象的。

そんなぼんやりとした社会のために、なんでこれだけ身を削って精神病んで、みんな社会人にこだわるんだという話。

「社会」Societyというのは、外来の輸入物なんですよ。

1800年代初頭にフランスで発生しました。

いまからちょうど200年前ですね。

社会は「マネーでつながっていこう」、そして「お互いの職業を尊敬しあっていこう」という新興宗教なんです。

キリスト教が墜落したフランス革命のあと、サン・シモンという人間がつくりあげました。

そして、てっとり早くいうと「日本人は社会なんか知らないのに、社会を押しつけられている」という構図が現代日本に出現してしまったんですね〜。

A型の体(日本人)にB型の血液(社会)を入れてしまったんです。

だから仕事がつまらん。分裂している。

「いやー!こっち来ないでー!」

ウルサイ客こそ『社会Society』を理解しない典型例。

僕はちょいちょい外食をしますが、たまに横柄な客を目撃することがあります。

なにやら大声のタメ口で店員に口をきいている。太った体でふんぞり返っている。

「金を払っているのだから、俺が偉いんだ」って感じ。

やな奴ですねえ。たまにいますよねえ。

よくよく考えてみれば、店と客は対等のはず。

だって1万円には1万円の価値を、10万円には10万円の価値を提供する。

合わせて読みたい

《裏》社会科授業。生物として強くなれ!
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お金って、すべて人間を平等にならすことに特徴があるんですよ。

社会においては売り手も買い手も、だれもかれもが平等なんです。

だから店員もおかしいね。ヘエコラする必要はない。

「お客様は神様です」なんてウソですからね。

マネーは、すべての人々を『平等』の立ち位置に再編成するんです。

1万円には1万円のサービスを、10万円には10万円のサービスを提供する。

そうやってお互いにバランスをとっている。

ちょい思想の話をすると、これ古代史ギリシャ思想のエクィリブリアムequlibuliam。

eqと入っています。イコールのeq。

アリストテレスの代表作、ニコマコス倫理学の中心軸です。

僕らの時代のような、マネーにもとづく社会societyにおいては貴族も平民も存在しないです。

「みんな平等だ」ということになっている。

これは、そのまま民主政治democracyのことですね。

民主政治ってマネーが中核なんです。

マネーが血縁や地縁の差別をなくすんだという発想です。

「だから、お金って神聖なモノなんだぞ。汚いものじゃないんだぞ。」

そしてこの状態を『社会society』というんです。

それを、この神様になりきったデブ客ときたら。。。。笑

もうまったくマナー違反ですよ。

仮にも社会で生きているんだったら、あんたと彼ら、平等ですよ。

でもデブ神様は、わかってくれないよねえ。

「上の者が下の者に金を払ってやる」という感じ。

これ、地域共同体に独特の感覚なんですね。

こんな光景は日本のどこでも、そこかしこに見られる現象でしょうね。

だから「日本人は社会オンチ」なんです。

「リベラル欧米人の女の子におごろうものならキレられますよ。『上も下もねえよ!』って感覚なんですねえ。」

日本人に『社会Society』はムリだった。

こっからは、日本に「社会」が流れこんできた歴史。

太平洋戦争の際、1944年にニューヨークで、日本人の性格構造を分析するためのIPR会議(太平洋問題調査会Institute of Pacific Relations)がひらかれたんです。

この会議に、日本人を徹底的に丸裸にしたルース・ベネディクトやジェフリー・ゴーラーも出席しています。

この2人はスゴく重要です。

彼らの描いた対日シナリオの中に、現代日本人も生きているんだから。

このIPR会議の様子が『日本人の行動パターン』(ルース・ベネディクト著 福井七子訳 日本放送出版協会 1997年)の訳者解説で描かれてあリます。

これは貴重な記録ですねえ。

p148で紹介されているジョン・マキという人物の発言が重要。

「日本人は『社会society』を理解できない」という趣旨の発言をしていますよ。

さっきのデブ神を思い浮かべながら、次を読んでみてください。

『日本人の行動パターン』p148(ルース・ベネディクト著 福井七子訳 日本放送出版協会 1997年)

 ジョン・マキは次のように説明する。「日本では身内とよそ者という考えは非常に重要です。西洋人は、日本人が非常に礼儀正しいと考えています。確かに身内の関係のなかではきちんと紹介され、礼儀正しく振る舞われますが、よそ者の状況にある場合、形式や丁寧さは完全に無視され、人間の感情を欠いた関係となるのです。

 社会的に丁重な言動という考え方は日本人にはありません。身内とよそ者という考えは、強い郷土愛に基づく地方主義に遡ることができます。外からやってくる人は、潜在的に敵やスパイと考えられていた十七、十八、十九世紀に由来します。

 家族は最小単位の身内で、友人、級友、同郷人、同国人という単位の身内へとその範囲は広がります。そしてよそ者はすべて劣っており、軽蔑の目で見られるのです。日本人は敗北した敵は、軽蔑をもって処遇されるべきだと思っています。」

地縁・血縁がすべての日本人には『社会society』はわからない。壊れてしまう。

だからみなさん、店やホテルでデブ神を発見したときは「ああ。この人は、分裂した悲劇の存在なんだ」と思ってマジマジと観察すればいい。

社会と共同体のハザマで壊れてしまったデブ神。

これ逆パターンもあってね。

売る側ね。

清く正しい笑顔マシーンのような営業マンもまた『社会society』の輸入に失敗した人間なんだよね。

笑顔マシーンが、デブ神をつくるんですよ。

どっちも悲劇。悲劇が悲劇を生む。

悲劇存在のデフレスパイラル。

「お客様は神様です」なんてやめちゃえよ。

それでも社会という魔界の中では、とるべき手段、ふるまうべき行動がわからない。

だから笑顔マシーンというパターン化された類型が現れる。

『社会society』って、Godそのものなんです。

近代という妙な時代にあわせて、つまりは、マネーがベースの時代にあわせてキリスト教のGodは『社会society』という姿へと変身したんですね。

ホンマですよ。

社会やGodの設計図には、「ロマンティシズム」という思想が使われてるんですね。

これはもう今日は書きませんがね。

Godの生まれ変わりの『社会society』。

コイツのアジアでの初輸入は、戦後の日本。

アメリカの戦後統治において、日本にキリスト教が輸入されたんですね。

でもキリスト教なんか知らんですからね。僕ら。

僕らは、東アジアの島国の隔離されたおぼっちゃま民族です。

ずっと国を閉じて生きてきた。

だから社会なんて知らないね。

だから笑顔のふりをするしかない。

清く正しい笑顔マシーンになりきるしかない。

その内面はズタズタに引き裂かれて、ネットに癒しを求めて、陽が昇れば再び笑顔マシーン。

「そりゃまあ変質者も増えるよねって話。」

追い詰められた日本人は、パターン化された行動をとる。

『社会人』というパターン化されたキャラクターが、現代日本には定着していますねえ。

初めて街にでたおぼっちゃまが、いじめられないように、すれちがう人々の身のこなしから言葉づかいまでマネをしているんです。

マネを集めて集めてパターン化した。

パターン化の極端な例が、とびきりの笑顔マシーン。

そして、このパターン化の性質についても文化人類学者・ジェフリー・ゴーラーは見抜いている。

これも引用しましょか。

『日本人の性格構造とプロパガンダ』p64(ジェフリー・ゴーラー著 福井七子訳 ミネルヴァ書房 2011年)

日本人は理解や管理できない環境においては、不安を感じるということはすでに述べた。

そうした環境に備えて、予見できるすべての状況に適した、

もっとも巧妙で形式的な行動パターンが日本文化には発達している。

これらの行動パターンに従いさえすれば、

日本人には怖いものはなく、陽気で楽しくいられる。

しかし、これらの行動パターンに従うことは、

各個人に相当な自己抑制やさまざまな攻撃的な感情、

憂鬱な気持ち、血気盛んな感情といったすべてを捨て去ることが求められる。

一般的にどのような感情も表現することは誤っている。

痛みや喜び、うれしさや怒りなどの感情表現は許されず、

そうした感情は予想できないことなので、自らが先立って捨てることにより、

他人も同じように放棄するという保証が得られる。

まさしく現代日本のサラリーマンのことですね。

ゴーラーはすでに70年の昔に、現代日本の笑顔マシーンの出現を見抜いとります。

社会人、笑顔マシーン的な行動パターンの出現は、おぼっちゃまが外界から自分自身を守るためだったということ。

『社会society』という輸入物の中で不安な日本人は、だからパターン化された形式的な学歴に強くこだわるんですねえ。

まあ怯えてるんですね、ようは。

大学なんか、科学者つまりサイエンティストscientistになりたい人間だけが行けばいいんですよ。

サイエンティストのために存在するのが大学。

ビジネスマン志望ならわざわざ行く必要ないっての。

商売は何歳からでもできるでしょ。

僕の周りにも意味不明なままに大学に通ってた奴、たくさんいたなあ。

これは、とくに文系に多くて。

自然科学natural scienceはまだしも社会科学social scienceなんか日本人は理解していないからね。

大学でたいして何もしていない友人に「何のために大学に通ったんだ」と尋ねると「いろんな人に出会えるから」とこたえが返ってくる。

それはたしかに大事なことですよ。人との出会いは大事。

でもそれって大学じゃなくてもいいよね。

「おれ大学いってないし就職もしたことないや。いえーいahaha」

哲ガキ的まとめ

ということで、社会が未発達の日本。

ただ僕は密かに、SNSと仮想通貨で、日本にも「社会」がキチンと輸入されるんじゃないかと思ってます。

サラリーマンがきついなら、早めに抜け出しときなよ。

じゃないと壊れるよ。

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