【日本の地殻変動】ガチの革命をシェアリングエコノミーが起こす可能性。

キョー@q_ohhhです。

いま世界中で革命が起きているのは知ってますか?

アメリカのトランプ大統領は、日本では変な人間に思われていますが、彼が行なっていることはアメリカの革命です。

トランプ大統領はアイソレーショニストIsolationist(国内問題優先主義者)です。

このコトバは、僕は、もう10年くらい前から知ってましたが、まさかここまでの革命思想だとは思っていなかった。

僕がアイソレーショニストを知ったのは、こちらの本からです。

アイソレーショニズムは、グローバリズムと対立する概念です。

グローバリズムという名目において、世界規模で広がった腐敗をぶっ壊す。

それがアイソレーショニズム。

コレは、先立つこと中国の習近平が、江沢民派の腐った連中を逮捕投獄しまくったことの延長でもあるし、もっと遡れば、ロシアのプーチンがこの15年、孤軍奮闘してきたことのアメリカへの飛び火でもあるわけです。

中国もロシアも旧勢力を叩き出してきましたが、やっぱり、アメリカに飛び火したことに意味がある。

まだアメリカがイチバン強いから。

日本への影響がダイレクトに届くのも、やっぱりアメリカからでしょう。

それでも、日本はアメリカの外縁だから、革命の機運も遅れて届くしかない。

だから多くの日本人は、世界で革命が起こっていることに気づいてもいない。

こんな感じで、影響が出てるんですよ。

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日本式の革命を、家余り問題から見る

そもそもが「革命の定義って何?」という話ですが、ここでそれを書くと丸々一本の記事になってしまうので、書きはしません。

ただそれでも暴力ではない、ということ。

暴力革命?天皇の処刑?

そんなことは、日本人はしたくない。

だいたいそれをやろうとして、共産主義勢力は嫌われてゆきました。

フランスのルイ16世とマリー・アントワネットをギロチンにかけたロビスピエールは、今もフランス人の暗部です。

だからざっと定義。

時代の自然。流れ。これをさらに人為で推し進めること。

そして、みんなの共通認識である法にまで高めること。

自然の流れを徹底的に肯定したあとの立法を革命の定義にしましょう。

「日本史のなぞ なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか」 p159より

革命は、自然発生している秩序に抗して為し遂げられるのではなく、逆に、それを、徹底して、過剰なまでに肯定し、引き受けることによって可能となる。言い換えるならば、自然発生しつつある秩序や運動を十全(以上)に肯定することは勇気を要することであり、一般に困難なことである

上の本は、日本における唯一の革命家として、北条泰時を挙げています。

より民衆にそった「御成敗式目」を制定したから。

織田信長でもなく北条泰時であるところがオモロイね。

もともとは、鬼才・山本七平氏の主張だそう。

まあそれは置いといて。

自然の流れを徹底的に肯定したあとの立法を革命の定義とするなら。

僕の眼に映るのは、日本の家余り問題なんです。

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いや僕思うんですよ。

家余り問題って、そうとうに変な問題じゃない?

だって、人間なんて住むとこ食べ物求めて働くわけで。

人間が、必死に求めるものが余ってるんですよ。

しかも、それが社会問題化している。

逆立ちしてるんですよね。

そうとうに変な問題です。

コレは、僕が東京にきた8年前、切実に感じていた問題で、当時はもう本当にカネがなかった。

貧乏なんですよ。

しかも東京の家賃はズバ抜けて高いときた。

そしてさらに、人が住んでないマンションなんて、そのへんにざらにあるわけで。

「マジでどっか格安で住ませてくれやー、管理くらいしてやっからさー。」と思ってました。

その延長上で、僕はもうずっとルームシェアで暮らしています。

いまは、あらゆる「余り」がやっと表面化して、「シェア」に移っていってます。

東京にも余った土地を利用して、駐車場にするところが増えた。

もれなく、カーシェアリング用のクルマが付属している駐車場です。

日本の家余り問題も、すぐ思いつくところではリノベーションしてシェアして、という流れの中にあるわけですが、もっと根本の問題をいえば、所有権の問題に行き着くわけですよ。

いやちょっと飛ばしすぎているので、ゆっくり説明すると、本来、所有権って、その人の財産を守るためにあるわけじゃないですか。

財産を守るために、所有権という大きな法の枠組みがあるわけです。

ひっくるめて「自然権」といって、ジョン・ロックという思想家が作りあげました。

ここがアイマイだと、資本主義が作動しない。

所有権がなければ、財産なんて奪ったモン勝ちの世界。

財産の奪い合いが常態の世界は、北斗の拳の世界ですよ。

奪い合うだけで、新しいものが何も生まれてこない。

北斗の拳じゃない。

労働、発想によって新しい価値を作りあげる。

その価値、財産は誰にも奪われない。

コレが、資本主義が描く世界像であって、それも「所有権」が認められているからできること。

だから、財産を守るために所有権はある

でも現代のおかしさは、もはや財産でもなんでもないのに、所有権が一人歩きしてること。

家、余ってるんですよ。

財産でもなんでもないんですよ。

なんにも活用されてないんですよ。

でも所有権だけが、激しい自己主張くりかえしてるんですよ。

おかしくない?

だから、シェアリングエコノミーの未来は、今のガチガチの所有権が柔らかく、ゴムみたいにガムみたいに分割したりくっついたり、たえず流動するところまで行き着くはず。

そうすれば財産化するからね。

いまはまだ、シェアリングエコノミーも十分じゃないから。

まだまだ余りはたくさんあるから。

このレベルじゃ、家余り問題は解消されないから。

でも所有権がガムみたいにゴムみたいになれば、ムダや余りが財産化する。

余った家が、みんなの公園になってもいい。

活用できる人が資本参加して活用する

この本は、多分そういうこと書いてるのかな。

読んでないからわからないけれども。

ところがすでに、所有権がガムみたいなゴムみたいな状態も、所有権の始祖、ジョン・ロックは書いています。

すでに17世紀にね。

「たんなる所有」だと、ガチガチに固すぎて、どこにも開かれず、それこそ家余り問題を引き起こす。

「所有権もった人の所有」は、ガムみたいにゴムみたいに伸縮自在、くっついたり離れたり、柔軟性があるんです。

「論理の方法 社会科学のためのモデル」小室直樹著 東洋経済 p42

一言でいえば、一つの所有物の所有権の所有者は一人に限る、ということです。

ただ、「一人」とはいっても、実は、コレは所有権のことを言っているのですから「共有」や「総有」などの共同所有と矛盾しない。

ここに「共有」とは、数人が同じ物の所有を、量的に分有することである(例、三人で、Aは50%、Bは30%、Cは20%)。

「総有」とは、数人が同じ物の所有権が質的に分有されていることである(管理所文献はAに、使用収益権はBにという具合に)。

このことは、近代資本主義より前の経済ではあり得ないのです。

量的に、質的に、分割する能力が、そもそも所有権には備わっている、ということですね。

でも今のところ、株式くらいにしか、この所有権の本来の能力は使われてないんですよね。

それが、シェアリングエコノミーを通して、僕らの生活まで入りこみ始めた。

生活用品の株式化と言ってもいいけれど。

とにかく、この流れはもう始まっています。

仮想通貨、ブロックチェーンの本質は、そのへんで眠って転がっているムダや余りやタダを財産化することです。

眠れる巨大な財産が、いままさに目覚めようとしている状態。

近所の公園がアナタのものになる

それで僕が思うのは、そのへんの公園なんて巨大なシェアですよね。

僕らは税金払ってるんだから、本当は所有権を主張してもいいわけですよ。

でもまあ、現行のテクノロジーじゃ所有権の主張ができないから、国や市に委ねてるだけで。

税金というカタチで。

コレを「社会契約」といいます。

ここが、今回の文章のキモで、テクノロジーが追いついてきたのなら、本来、公園なんかの公共施設は巨大なシェアなんだから、別にそんな国や官僚機構に丸投げしなくていいんですよね

丸投げが社会契約。国へのおおざっぱなぶん投げ。

これまでのテクノロジーが、おおざっぱなぶん投げしかできなかったんですよ。

おおざっぱにしかできなかったから、近代国家が生まれたわけです。

近代国家って、おおざっぱなんですよ。

でも、テクノロジーが追いついてきたなら。

社会契約しなくていいんですよね。

税金払わなくていいんですよね。

いや、もちろんお金は払うけども、問答無用に上からバサッと官僚機構に奪われる道理はない。

本当に地域に公園が欲しいなら、自分たちで出しあって、資本投下して、公園つくればいい。

「公園キレイにしたいでーす」なら、キレイにしたい人らが金を出しあうということ。

使用料やらは勝手に決めればいいけれど、まあ仮想通貨あるし、地域への貢献度なんかで計って限りなく無料に近づけられるんじゃないかな。

自分たちのことは自分たちでやる、ということです。

コレを「リバータリアニズム」といいます。

まああとは、巨大資本の支配になったらまた問題だけれど、そこは社会契約2.0みたいな感じでなんとかすればいいでしょう。

ここが革命ですよ。

税金をめぐる闘い。

税金に所有権を主張すること。

たとえば公園を、国から自分たちの手に取り戻すこと。

なんでコレが革命かといえば、コレが実現すれば官僚機構が信じられないくらいに小さくなるからですね。

もちろん官僚という国家公務員は必要だけれど、官僚がその本来の役割である事務職に舞い戻る。

そして今のようなムダな税金がなくなる。

税金が、きちんと財産化される。

税金が、僕らにとって本当に意味のあるお金になる。

コレが革命。

サイバー空間がもたらす分散型の社会契約

あとは、コレだけ所有権がガムみたいにゴムみたいになるのなら、どんな場所にでも納税できるようになりますね。

ことにインターネットやVRでサイバー空間が拡張していく世の中ですから、自分がサービス受けたい空間に納税すればいい。

シェアは公園だけじゃないですからね。

「2050年 衝撃の未来予想」苫米地英人著 TAC出版 No.753-No.768

社会の中心がサイバー空間に移行することで、地理的な制約がなくなり、各自治体の提供するサービスを離れた場所で享受することができるようになります。

例えば、ある自治体は教育に特化したとします。

2050年の教育はインターネットを介した通信教育が一般化しているはずですから、優れた教育を受けたい人は、その自治体の住民となり税金を納めるようになります。

別の自治体がサイバーテロ対策に特化すれば、テロ対策に敏感な企業はその自治体に籍を置くことになります。

※中略

そしてその納税先は国家や自治体だけとは限りません。

MUFJコインやアップルコインのように独自の通貨発行権を有し、独自のサイバーセキュリティ部隊をもち、独自の医療制度や教育制度を持つ企業がサイバー空間場に登場してくることでしょう。

もし彼らの提供するサービスを受けたいのであれば、彼らの仮想通貨で対価を支払うことになります。

※中略

これは税金も同然であり、その企業は「バーチャル国家」と呼んで差し支えない存在です。

※中略

インフラは現住所の自治体、セキュリティはバーチャル国家A、教育はバーチャル国家Bというように、自由にカスタマイズすることができるのです。

上の引用が、いわば社会契約2.0ですね。

これだけ税金が分散化すれば、いまの官僚機構ができることは劇的に減る。

さらに、自治体と企業の役割が、限りなく重なってくる。

公的なものと私的なものの区別がアイマイになってくる。

これはそのまま「さよなら近代国家」の図式です。

そのことを書いているのがコチラ。

近代国家が小さくなって、国が乱立するようになる。

ガムみたいにゴムみたいに伸縮分散をくりかえす小さな「国」が、メインプレイヤーになる。

上記の著者のパラグ・カンナは、このような状況を「新しい中世」と呼んでいます。

中世は、明確に線引きできない、ギルドや王国なんかが、常にうごめき合うことで成り立っていました。

日本の戦国時代もそうですね。

近代国家は、そこまで新陳代謝はよくありません。

だから近代国家で生きる僕らはピンとこないけれど、実は「国」は伸縮自在なんですよ。

そういった、私的と公的がごっちゃになった、常に新陳代謝をくりかえす状況が、これからの「国」の定義だということです。

ただそうなってくると「日本とはなにか」という深い問いに叩きこまれる。

僕は、日本とは、この列島でもなく黄色系の顔でもなく、生活の隅々に浸透する文化でしかないと思ったんですが、文化って割と人によって差があります。

アヤフヤです。

じゃあアヤフヤでない日本とは?

日本語?天皇?

僕としては、まだ答えが出ません。

そのことを考え抜いていたのが、三島由紀夫だったんでしょう。

三島における「日本」も、永遠の観念でした。

社会契約2.0の時代には、カウンターパートとしての強烈な保守勢力が現れて、より観念化した「日本」を、神格化する可能性もあります。

2500年前のユダヤ人と、同じ道筋です。

まあいい。日本のことは今日はこのくらいにしておきましょう。

きょうのまとめ

  • シェアリングエコノミーの次の段階で、
  • 所有権がガムみたいにゴムみたいになることで、
  • コミュニティと税金のカタチが変わり、
  • 契約はそれぞれカスタマイズされて、
  • 社会契約2.0が確立、
  • 官僚機構に意味がなくなる。

これぞ自然の流れを徹底的に肯定したあとの立法

これぞ革命のシナリオ。

あと追記で。

僕らの小さな生活も、より自然志向になっていくんでしょう。

大きな流れの中で、僕らの生活という、いちばん下流においても、「近代国家」や「巨大企業」の占有が薄くなっていく。

いままでの社会契約が薄くなってゆく。

僕も最近は、食にせよ何にせよ自然志向になりました。

「国」もまた、伸縮自在の自然状態に戻っていくんですよ。

自然志向は、21世紀の世界精神(ヴェルトガイスト)なんでしょう。

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