執筆者profile

きょうさん@q_ohhh

通称・きょうさん。本名は松村享(まつむらきょう)。

1986年生まれ。福岡県北九州市出身。

もともとは家出少年で、文学好き。

歴史や哲学の文章を書いていました。

現在は東京・中野新橋でルームシェア。

男女3人で暮らしてます。

ふらり飲み歩いたり、夏祭りに参加してハマグリ焼いたり、中野新橋にだいぶ馴染んでいます。

(中野新橋・鍋横祭りにて。友人たち。と、九十九里のハマグリ)

 

(こっちは八王子のいちょう祭り。)

 

そんなこんなしてるうちに、いつのまにか「ダンディだね」と言われることが多くなりました。

ハタチくらいまで、望んでもないのに可愛いキャラにされていたのに、年月の流れは早いものです。

でも僕は、「可愛い」よりは「ダンディ」の方が嬉しいですね!

それでは、ダンディへの過程を、ここに記しておきます。

「こっから過去の話だよ。」

目立ちたがりの幼少期。

小学生の頃から目立ちたがり屋で、近所の子供たちを集めて探検ごっこ、サッカー、などなどガキ大将まがいなことをやってました。

ただし体はいちばん小さかった。ミニジャイアンですね。

あれは小学校の整列の時。

常にいちばん前だったのが気にかかる僕。

どう見ても大きいはずの2番目の男の子に、いちばん前に出てもらい、やっと手に入れた整列2番目の地位に満足をおぼえました。

気持ちよかったです。

あとは女子のスカートめくりも。

女の子の嫌がる顔がたまらなく好きでした。

変態の萌芽がほの見えます。

ある時、僕はいつものようにスカートをめくったんです。

当然、嫌がる表情が見たいんです。

でも女の子、「いや~ん」などと言いながら満面の笑顔。

「え…?」

僕は困惑しました。

そんなはずじゃなかったんです。

もっと嫌がってほしいんです

その日から、「スカートめくりなんて意味あるのか?」と考えはじめました。

だいたいパンツ見えたくらいで何がおもしろいのか、わかりません。

僕は、スカートめくりを卒業しました。

鬱が続く。

中学1年、2年生くらいですか。

その頃から、とても厭世的になっていきました。

冬の枯葉を見て激しく動揺したり。

思春期の感性が急激に爆発しました。

いきなりウルトラ神経質になったんです。

いま思えば、小学生の頃からその気はあったんでしょうけども。

ヘルマン・ヘッセや三島由紀夫を読むようになって。

「なんで生きているのだろう?」と、意味もわからず苦しかったのをおぼえています。

いまでも憶えているのは、夏の終わり、祖父の家の屋根の上。

空は夕焼けと濃紺がたえずうごめいて、雲がちぎれ流れ、離れていく。

無心で眺め続けました。

あの時の夕刻は、異常に時間が長かった。

それっきり、同じ時間に空を見上げても、あの時と同じだけの無心さ、没入感はありません。

夕刻の短さを思います。

あの夏の終わりに経験した夕刻だけ、異常なほどに長かった。

その夜、僕は生まれて初めて詩を書きました。

それから家出や旅をくりかえすようになって。

家出して、やっぱり空が好きでした。

野宿で迎えた朝焼けの美しさ。

生き返ったような気分になって。

(若松という街の海。)

15歳の時、福岡から東京まで家出しました。わりと遠い道のりです。

各県の散歩中のおじいちゃん達から、たくさんお金を恵んでもらいました。

途中の広島、見知らぬ家庭のチャイムを押して、そのまま中に入れてもらったこともあります。カレーライスが美味しかったです。

神奈川の横須賀で、海上自衛隊の門をくぐり「俺を将校にしてくれ!!」と交渉したこともあります。

これは司馬遼太郎の「坂の上の雲」の影響です。

明治期の軍人さんたちに憧れていたんです。

でも受付警備のおじいさん達に、やんわりさとされて帰されました。

「いろんな人に世話になったなあ。」

サボりまくりの高校生活。

高校時代もずっと厭世的な気分が続きます。

ところでこの厭世気分は、このあと27歳まで続きます。

「自殺したろうかいな」と思ったこともありました。

足掛け15年ほど私の精神はさまよっていたんです。

それでも高校時代は、部活していたのが良かった。

僕が所属していた部活は男子新体操部といって、団体6人でお互いを宙返りで飛び越えあったり、ようはサーカスみたいなことをやるんです。

体を動かす、というシンプルなことが、僕の精神のクスリになったんだと思います。

毎日、夕方になるとクルクル空中を回ってました。

授業にはあまり顔を出しませんでした。

高校生活の半分は、部活だけ行ってました。

この学校、朝の7時40分から授業があるんです。

勉学に力を入れている、俗にいう進学校です。

しかも遠いので起きるのは朝の5時半でギリギリまにあうかどうか。

5時半なんて、冬は星がきらめいています。ムリですよ。

学校にいかず、学校近所の神社の石段に寝転がって本を読んでいました。

(勉強よりも自然風景が好き。)

朝から夕方まで神社にいることも多く。

1人で詩をつくるのが好きでした。

それで授業が終わる頃に学校へ行って、部活に参加するんです。

それでも高校の先生方は僕を大目に見てくれていたみたいで、成績も最悪だったのですが、留年などはしませんでした。

この頃から読書と詩作が昂じて、ついに小説を書くようになります

誰にも見つからない深夜にコッソリ小説を書いていました。

三島由紀夫、太宰治、川端康成、谷崎潤一郎、梶井基次郎あたりが僕の好きな作家でした。大正以降の日本文学ですね。

書きながら、たまに目頭が熱くなってくるんです。

「なぜ人は生きているのか」と「美しいものはなぜ美しいのか」とが僕の執筆テーマでした。

これはそのまま、神学と哲学に直結する課題ですので、のちに僕は神学・哲学に詳しくなりました。

近代ドイツ哲学、中世イスラム思想、古代ギリシャ思想、仏教ならば三島由紀夫の影響で唯識論。これらに詳しくなりました。

そんなこんなで高校3年生。

部活は8月のインターハイで終わり。

大した成績も残さないまま、夏を終えました。

本来ならここで受験勉強をすべきなのですが、9月の体育祭で僕は応援団団員になり真っ白なハッピにハチマキしめて、全力で演舞をしました。

応援団はもしかすると部活よりもいい思い出です。

学校の禁止をくぐり抜けて深夜まで練習しました。青春だな〜。

「先生たちは、けっこう好きだったよ。」

ブレブレの期間。

ところで受験勉強は途中で放り投げました。

大学は早稲田大学を受験したのですが、テキトーにシート塗りつぶして終わりです。

もちろん落ちました。

高校卒業後、実家をでて1人暮らしの友人の家に押しかけ、押しいれ借りて寝てました。ドラえもん状態です

冬の朝は手がかさついて、中から押しいれ開けられません。

がんばると、木針が指に突き刺さります。

何度、押し入れの暗闇の中から友人に助けを請うたことか…。

「助けてー!」

この友人宅から、いちおう予備校に通ったのですが、これもほとんど行かず。

たぶん7、8回くらいしか行ってないですね。

予備校はやめました。ずっと小説書いてたんです。

この頃が厭世観MAXの頃です。

自分自身に腹が立った冬の初め、手書きの原稿用紙を夜の海にもっていって全て燃やしました。

でも、ちゃんと燃えてくれないのですよ。風が強くて。

(当時の写真)

結局、砂まみれの原稿を拾い集めて、どでかいビニール袋にごったまぜにして友人宅の押いれに封印しました。

その後、原稿がどこに行ったかはもはや不明です。

高校時代から書いたもの、すべて消し去りました

それから東京・歌舞伎町でホストをやったり、小さい芸能事務所に入ってみたりと人生ブレブレの毎日。

ずっと文章は書いてはいましたがね。

この頃には小説よりも、評論文や思想分析の文章を書く方が好きになっていました。

博多で出版社をつくる。

20歳の2007年、東京から博多に移動し、出版社をつくりました。合資会社で。

自分の書きためた小説の中から、1つピックアップして製本したんです。

仲間に手伝ってもらって3人で。

(当時の3人の似顔絵。真ん中が私。書いたのも私。)

資金は100万。祖父が僕にかけていた生命保険を解約してもらってゲットしました。

あとはアルバイトで貯めた30万くらい。あわせて130万ほどですかね。

ただし、この時に出した本は僕の中では黒歴史です…二度と見たくもない…

当時の世間の雰囲気にあわせてケータイ小説の体で出版したんです。

でも前述のように僕は大正以降の伝統日本文学が好きなんです。

変に世間に迎合した結果、いまから思えば最悪の出版物ができあがりました。

がんばって800部くらいは売りましたがね。

もうサヨナラですね。はい!!思い出すの終了!!

「もう2度と思い返してなるものか…!」

琵琶湖に逃走。

そんなこんなで出版社を廃業にした僕は、この時すでに22歳になっていました。

一般の大学生だと4年生。

もうそろそろ世間のイロハをわかっていい頃ですが、厭世観に裏打ちされた僕の暴走はとまらず、こんどは滋賀の琵琶湖ちかくに住みはじめます。

琵琶湖って湖のくせに波があります。

たくさんの人が泳いでるんですね。

僕を訪ねてきた博多の友人と琵琶湖を泳ぎつくしました。

電車で行けば人も集まったいいスポットがあるんです。

電車で30分〜40分くらいかな。

泳ぎつくした僕と友人、なにを思ったか電車をつかわずに歩いて帰ることにしたんです。

結果、8時間歩いても辿り着かず。

途中から僕らほとんど会話してないですから。

ボロボロになりながら、やっとのこさ見慣れた景色。

「はあはあはあ…」

見あげた看板。

残り10kmでした。

発狂です。

見慣れた景色は、われわれの幻想だったのです。

それからどれだけ歩いただろうか…。

汗と発狂と激しい呼吸。

真っ暗闇のなか歩き続け、ついに暗闇の中に一点の光明を見つけました。

光ってるんですまじで。

そこで繰り広げられていたのは、地元ヤンキーたちの花火の飛ばしあいでした。

30人くらい蠢いていたんじゃないでしょうか。

でもヤンキーとか関係ないよもう。きついんだよ。

壊れかけの僕らが声をかけたのは女の子。やっぱ癒されたいですから。

「はあ…はあ…。お嬢ちゃん…。ここは一体どこかいの……?」

美人で優しい女の子なんです。

野獣のごとき僕らの、ギラついた眼光さえ眩しい笑顔でお出迎え。

が!!

遠くで見ていたその子の彼氏。

僕らをナンパ野郎だと認識。

一触即発の危機一発。

「ちゃう!ちゃうって!ちょい待ちやい!」

まあ僕らは毛頭そんな気はなく事情を説明したら、そのヤンキー彼氏も許してくれました。

それから、例の女の子に車で家まで送ってもらいました。

後日僕ら2人、菓子折りを持って女の子が働くショップへ。

この日もこの日で往復3時間くらい歩きました。真夏の炎天下、焼けました。

ここまで恩を返そうとする僕ら。

わざわざ3時間を押して歩く僕ら。

すなわち、ちょっとは下心あったんですよ。えっへっへ。

「えっへっへ。」

東京で最悪の鬱状態におちいる。

24歳になった僕は、東京へ出てきます。

地元の漫画家志望の友人と出てきたんです。

僕にとって東京は、20歳の頃以来です。

2度目の東京、2010年の冬に一般社団法人をつくりました。

イベント、映像関係です。

(なかなかカッコいいでしょう。僕らです。ふふふ。)

最初は勢いのままに有名な方を招いて、イベント開催したり映像作品つくったり。

(美しすぎる市議の立川明日香さん。メンバーのMASAがインタビュー。)

(元・内閣参与の湯浅誠さん。)

てな感じで、しっかりやってそうに見えますが、内情は真逆。

もうムチャクチャな生活だったと思う。

酒。女性。ちっとも楽しかないんですがね。

最悪の鬱状態です。

体調もどんどん悪くなっていきました。

  • 荒れ放題の部屋
  • 滞納する家賃
  • クレジットカード使い放題
  • 毎晩呑んだくれ
  • 下手くそな恋愛

「死んでもいいや」と思っていました。

それでも死んでいないのは、僕がまだこの世に何も残してないからなんです。

それは、僕にとって激しい未練です。

未練があるから、「生きるとはなにか?」を手探りで探しまわりましたよ。

いつも考え事をしていましたし、いつも本を読んでました。

こんなんだから、アルバイトは通算20個くらいしましたが、どれも使い物にならない人間でした。

仕事は、僕にとってはこの世の枝葉末節だったんです。

ホントにどうでも良かったなあ。

僕がずっと考えていたこと。

「生きるとは何か?」

その導きになったのは結局、古い哲学や思想でした。

生きていることの意味や不思議は、ついにわからなかったけれど、人間という種については詳しくなりました。

最後にわかったのは、哲学とは「人間という種を支配する構造」「生活の支配構造」だということ。

僕らも、この構造の中にいて。

  • 学校
  • 就職
  • 恋愛
  • お金(マネー)

これ全部、生活の支配構造です。

こやつらが肌に合わないからこそ、僕は鬱になっていたんだと知りました。

つまり哲学が生み出したものが、僕の肌に合ってなかったんです。

このことに気づいたとき、僕は愕然としたんです。

僕は、反哲学だったんです。

そして立場を同じくするフリードリッヒ・ニーチェに親近感を抱くようになりました。

ニーチェに寄せた記事

ところで、設立した一般社団法人はどうなった?

ところで一般社団法人。

東京にて設立した一般社団法人ね。

収益に結びつかないんですよね。完全に赤字です。

そもそもが一般社団法人ですから。

収益が主な目的ではないです。

僕はもともと、お金やきちんとした生活に興味がありませんでした

それでも組織を運営してると、お金の大事さ、ジワジワと僕の価値観に侵入してくるようになります。

あとは、上記のように、やっと哲学に答えを見つけた僕。

だんだんと鬱が消えていくのがわかりました

本や思想ではなく、ありのままの現実を受け入れられるようになってきました。

それでも一般社団法人は終わりました。

僕は、リーダーとしての未熟さを露呈したんです。

失敗と同時に、やっと現実へのとっかかりを得た、と今なら思える。

(当時の写真)

文筆に戻る。

20歳の時につくった出版社と、24歳時設立のイベント映像会社は、いま僕は若気の至りだと考えています。「お金」への真摯さが欠けています。

お金の大事さに気づいた僕は、そのあとも仲間の1人と新しいお金の開発に取り組んでいたんですが(今でいう仮想通貨。僕の考えではSNSの延長だった。)、それも資金力のなさと現実味のなさゆえに投資してくれる方もつかず。

思い描いた仮想通貨の設計図は、そのまま未だPCのなかに眠っています。いまチャッチャカ打っているこのPCのなかに。資金を手に入れたら、この仮想通貨を実現化させたい。

もう今は仮想通貨つかって、独自トークン発行できますね。時代は変わったものだ…。

この10年、いや家出少年の少年時代いれて15年以上、現実味ないままに理想だけで突っ走っていたんです僕は。

2014年からSNSI(Soejima National Strategic Institute)という政治経済シンクタンクで、文章を書き散らしました。

(やっとキリっとしてきた)

2017年をむかえて、そろそろ人様に文章を販売できるだろう、という自己判断をしました。

それでこのブログを作ったんですね。

だから僕は結局、文章に戻ってきたのです。

深夜にコッソリ書いていた15歳の頃の自分に。15年の歳月を経て。

たくさんの失敗と経験と知識をひっさげて。

(ついにダンディズムを醸しはじめる)

失敗しまくってたら、いつのまにかダンディと呼んでもいい歳になったということですな。

こちら「0のダンディズム」では

  • いぶし銀のようなファッションセンス
  • 規則正しい生活
  • 飲んでも飲まれるな!
  • しなやかな肉体
  • メンタルの支配
  • 適度なエロさ
  • 時間の自由
  • 誰にも雇われない
  • 自由自在のマネタイズ能力
  • 与えることを惜しまない
  • 投資のスキル
  • 多彩な趣味

を書いていきます。

シンプルに「自分の運命は自分で決める」というダンディズムを貫いてゆきたいと思います。

「そんなこんなで今に至るのですよ。」