【完全解説】「哲学とはなにか」を究極にわかりやすく解説した文章がコレ

哲学がピンとこない人へ

きょうさん@q_ohhhですよ。

哲学って誤解の多いコトバ。

自己啓発じゃないし、成功者のメッセージでもないよ!

あとよく言われるのは「生きる事を考える」「むずかしい」「意味ない」etc…

ぜんぶ違う!!

そりゃ根本の骨組みをわからないと、意味ないように見えるでしょうね。

僕らは、小難しいコトバばかり叩きこまれて、イチバン大事な骨組みを知らないんですね。

この記事では、「哲学とは何か?」を全部、徹底的に説明します!

というか、はじめに結論をいっちゃおう。

哲学とは生活の支配構造のことです。

お金やら恋愛やら、僕らにとっちゃあたりまえ。

このあたりまえの、お金や恋愛こそ、哲学が設計したものなんです。

それらを、僕らはなにも考えずに使ってるけども。

気づかないくらい、「あたりまえ」の中に溶けこんでる。

世界的に権威ある辞書、OEDとブリタニカを見てみようか

「哲学」みたいに、意味のわからない言葉って、だいたいが明治期に輸入されたコトバなんですよね。

輸入だけはされたけども、まだよく消化されてないのが現状。

だから、もっかい確認しましょう。

その辺の図書館にひっそり並ぶ世界権威

  • OED(Oxford Engish Dictionary)
  • ブリタニカ(Encyclopedia Britannica)

この2つは、思想研究のときには必須のツールです。

なんつったって、明治期に輸入されるそれ以前から現代まで、現役バリバリでやってきている事典なんですね。

ぜんぶ英語です。

輸入される前の原型。

まあ今は絶版になってオンラインのみなんですがね。

ただ高いんですよ。バカ高い。オンラインとはいえ。

だから図書館に行けばいいんですね。

そのへんの図書館にいけばだいたい置いてありますよ。

小さい図書館にはないかもだけれど。

僕は東京・中野住まいなので、中野図書館。

フツーに置いてあります。

ブリタニカによると「哲学」の意味は変遷している

で、僕がざっとみて「大事だな」と思ったのは、ブリタニカの「The History of Western Philosophy」という項目の、いちばん最初。しょっぱな。

項目の目的が律儀に書いてあって、それは3つあるんだと。

1つ、西洋における哲学の歴史

2つ、どのようなバックグラウンドがあったのか

3つ、定義や機能の変遷の歴史

これ読んで、「やっぱそうか!」と思いましたよ。

哲学って言葉の意味が、時代ごとに変わってるってこと。

ブリタニカより引用。

⑶to trace the changing conception of the definition,the function,and the task of  Philosophy.

意味が変わりまくったコトバ、そりゃうまく輸入できないわ。

ブリタニカは、このあと続けて、人によって変わりまくる「哲学」を書いてます。

そもそもが、あやふやなコトバなんだね。

ピタゴラスとソクラテスの共通点から「哲学」がわかる

「じゃあ原義に立ちもどろう」ってことで、OED。

1.(In the original and widest sence.)The love,study,or pesuit of wisdom or of knowledge of things and their causes,whether theoretical or practical.

知sophyを愛するphilo、でフィロソフィー=哲学。

ソクラテスは、ピタゴラスの後輩

一般にはソクラテスが、最初に哲学者を名乗ったことになってるみたい。

ソクラテスは多分、イチバン有名な哲学者ですね。

ソクラテスから哲学がはじまったイメージすらある。

古代ギリシャ・アテネが崩壊する時代に立ち会ったのが、ソクラテス。

テロリストみたいな奴らをいっぱい世に送り出して、アテネは悲惨な内乱。

親子供で殺しあったというからね。

で「お前のせいじゃ」いわれて、ソクラテスは殺されたんです。

このソクラテスが、哲学者を名乗ったんだと。

でも哲学というコトバ、本当はもっと以前に生まれていて。

最初にいいはじめたのは、どうもピタゴラスらしい。

ほら、数学の教科書に「三平方の定理」、別名を「ピタゴラスの定理」が出てくるでしょ。

あのピタゴラス。

フィロソフィスト=哲学者を最初に名乗ったピタゴラス。

そのことは、こっちに書いてありました。

カラダや自然への反逆から「哲学」は始まった

ソクラテスとピタゴラス、まったく時代かぶってません。

ピタゴラスが死んで30年ほどして生まれたのがソクラテスだから、曾祖父さんか、ひい曾祖父さんくらい違いますね。

全然、ピタゴラスの方が年上。

でも共通点があって。

それは、数学や概念の優位を打ち立てたという点。

現実のこと、カラダや自然を一段低く見て、「現実よりも概念が上だ」としたのが、この2人の系列。

だんだん近づいてきましたね。

お金も恋愛も、概念であって実物ではないですからね。

幻想ですからね。

「現実よりも、幻想。」

コレが哲学の源流です。

幻想優位のこの思想は、ピタゴラス→パルメニデス→ソクラテス→プラトンと続いていきます。

最後、プラトンに流れ着いてるわけで。

プラトンこそ、哲学の体系を打ち立てた大巨人なんですね。

イギリスの哲学者・ホワイトヘッドは、「西洋哲学はすべて、プラトンの注釈である」とまでいってます。

プラトンのイデアこそ、哲学そのもの

イデア論というのがあります。

イデアとは何か?

2015年に僕自身が書いた文章から引用します。

「幻想国家としての古代アテナイ」より

三角形を描いてみてください。分度器を使って、あるいは定規を使って描いてみてください。描いてみて気づくが、どんなに完璧を目指そうと奮闘しても、完璧な三角形など描けはしない。

どんなに完璧に見えても、微小な狂いがある。0,00001ミリの狂いが生じる。この狂いは、誰にもどうしようもない。完璧主義者が、髪を振り乱して顕微鏡を使ってヒステリックに集中しても、微細の奥の奥の正確さは、計りがたい。

だから人間とは完璧ではなくて、完璧な世界は、人間には触れられないところに存在する。人間は完璧な世界、つまりイデアを思い出しているに過ぎない。

だから完璧な世界=イデアの著述としての数学がある。「数式は美しい」などと、そのへんのインテリ気取りが、意味もわからず言っているが、これがイデア論である。

(アンダーラインは今引きました。)

こういう理屈で、数学や概念という「幻想」を神格化しているわけです。

そして、これこそがズバリ哲学そのものだと、僕は主張してるんですね。

ソクラテスやピタゴラスが提唱したフィロソフィー=哲学は、ここに実を結んだわけです。

20代の半ばまで、僕はイデア論に魅了されてました。

「これぞ人間の能力を乗数的に激増させる思想だ」と。

僕は、イデア論側、つまりアイデアリストだったんです。

いま、僕は真逆です。

イデアを攻撃するのがノミナリスト

真逆がノミナリスト。

「ノミ」とあって、name(名詞)のことですね。

「恋愛なんていってるが、ただそう呼んでるだけだろ。名前つけて、勝手にあることにしてるだけだろ。ホントはないだろ。ただの人間関係だろ」

これが、ノミナリストの主張。

アイデアリストの最大の対抗馬として現れたのが、ノミナリストです。

ニーチェ、三島由紀夫もノミナリストです。

「その幻想が、俺たちを支配しているぞ!」と真っ先に気づいた人たちですね。

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「恋愛」はアイデアリストの思想

僕はノミナリストなので、恋愛という名の与太話には反対です。

ただの人間関係が、どうしてここまで幻想として高められてるんだと。

そう思って調べると、「恋愛」は立派なイデア論の思想だったんです。

「恋愛」は輸入されたコトバ

恋愛というコトバは、明治期に輸入されたコトバです。

1840年代、上海で作られたのが「恋愛」

「Love」の訳語として、「恋愛」になりました。

これ作ったの、イギリスのクリスチャンです。

メドハーストという神父。

アヘン戦争で中国をボロボロにしたイギリスが、ユーラシア沿岸の広州・上海あたりにどんどん進出したんですね。

イギリスは、いまも中国沿岸部に影響力持ってます。

その最初期、中国でキリスト教文化圏の著作が、どんどん翻訳されたんですね。

中国沿岸部は、アジア侵略のための一大拠点だったんですよ。

島国日本も、上海から見れば目と鼻の先。

福岡を軸に見れば、上海と東京はほぼ同じ距離。

(ほうら。)

上海で作られた「恋愛」が、明治期に日本に輸入されます。

日本も、少しずつイギリス化されて、いまやズブズブの恋愛脳ができあがりました。

あとは第二次世界大戦後、敗北した日本に、GHQが恋愛を仕込んでますね。

こっちに書いてあります。

「恋愛」をつかうの、イギリス・ヴィクトリア朝の必殺技だったんです。

ヴィクトリア朝って支配力ハンパなかったんですよ、ギチギチの倫理で人間をしめつけるわけ。

犯罪が多発したといいます。それも猟奇的な。

切り裂きジャックもこの時代。

人間、性的な欲望を過度に押さえつけられると、変にねじ曲がってしまいます。

脳内で、実に美しい世界ができあがるんだよね。変態的に。

つい最近も神奈川の座間で9人もの犠牲者が出ました。

かなり猟奇的な事件です。

僕は、恋愛というイデア論が引き起こした事件だと考えています。

彼は、美しい世界にいたんです。

しかし。それにしても。

恋愛ってかなり使い勝手のいいイデア論だよなあ。

アナーキーになりがちな人間を抑えるにはうってつけ。

消費行動も激増する。

お互いの束縛なんて、ムダに消耗してくれるし。

そりゃ政治に無関心になるよ。

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ベストセラー「新エロイーズ」が恋愛をつくった

「恋愛」は、新しい造語だった。

LOVEの翻訳として日本にも輸入された。

じゃあ恋愛=LOVEは、本場ヨーロッパでどのように発生したのか?

恋愛を発明したのは、ジャン=ジャック・ルソーという思想家なんですね。

ルソー以前には、恋愛は封印されてました。

褒められるものではなかった。

ルソーの「新エロイーズ」という著作が重要で、コレ当時の大ベストセラー。

エロイーズって伝説の女性。

大恋愛して、非難されて、不遇な人生を送った女性クリスチャン。

だから「新エロイーズ」は、エロイーズの復活ということで、クリスチャン的にはタイトルだけで衝撃的。

革命だよね。

でも、この革命が裏返って、僕らの時代には支配構造になってるんだから。

人権やら恋愛やら、タテマエが僕らを窮屈にする。

結果的に、自由と平等の旗手であるはずのルソーが、実は統治のイデオロギーを作ったんです。

現代哲学界では、「ルソーの思想に問題あり」というのが、一般的な解釈になっています。

「新エロイーズ」は「ジャン=ジャック・ルソー問題」という、なぜか日本語訳されたウルトラ級に重要な文献でとりあげられてもいる。

(著者のカッシーラーは、アメリカ哲学界の親玉・レオ・シュトラウスの先生)

  • ルソーの発明した「恋愛」
  • 上海にて神父のメドハースト
  • のちに明治期日本に流れこむ、という構図。

現代日本は、恋愛ソングで溢れかえっています。

日々、イデア論が増幅されてる現状。

アイデアリストの勝利。

古代ギリシャから連綿と続く「哲学」の勝利だともいえます。

哲学に支配されてるんですよ、僕ら。

キリスト教がすべて悪い

上で書いた「恋愛」の項、クリスチャンが上海で「恋愛」を作ったんだと書きました。

キリスト教は哲学を支配下においた

クリスチャンは、哲学に強いです。

とくにヨーロッパのキリスト教は、思惟だけ発達させてきたもんだから、哲学には異常に強い。

アジア・ロシアのキリスト教は全然ちがうんだけれど、それはこの際おいといて。

カラダを軽蔑して、精神を重要視したのが西洋のキリスト教。

だから風呂入らなかったり。

中世のイスラム教徒は「汚なき事クリスチャンの如し」って言ってたんですね。

マジで汚かったみたい。

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キリスト教においては生殖も、お互い肌が触れあわないように変な着ぐるみ着て、穴だけ開けて行なっていたんだと。

イかれた感じしますね。

これがイデア論の行き着いた果てですよ。

現実の軽蔑、幻想の勝利。

哲学だけは発達させてきた。神学にとりこむことによって。

ヒエラルキーの構図

ローマ・カトリックのキリスト教において、神学が頂点、哲学はその下部に位置するというヒエラルキーがあります。

これ著作権的に良くないんだろうけども、副島隆彦氏の「決然たる政治学への道」から表を貼りつけます。

アウトな場合は削除します。

非常に明快でわかりやすい。

よく見て。

「決然たる政治学への道」より

⑴の神学の部分をようく見てください。

神学のなかに、哲学と数学が入ってますね。

これが、キリスト教の作ったルールであり、「恋愛」の成り立ちからみてもわかるように、僕ら現代日本人もこの構図のなかにいるんですね。

天皇家の子らが国際基督教大学に通ってるの、違和感ハンパない。

戦後、天皇家を筆頭に、日本にはキリスト教が流れこんできてるんですよ。

経済政策にもイデア論は利用されている

キリスト教は日本経済にもやってきていて、いま流行りのアベノミクスも、その本質はじゃぶじゃぶマネー。

これもイデア論からきているアプローチです。

そもそもが、プラトン最大の著作「国家」じたい、中央銀行のことを書いてるようにしか見えない。

哲学の見地からいえば、今プラトンの「国家」に対抗しているのが、ビットコインをはじめとする仮想通貨です。

僕は、非常に関心を持ってます。

ていうか、イーサリアムもってます。

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だから僕は、反哲学のノミナリスト

だから、恋愛や経済や数学、コレらの源流が哲学なんです。

「現実よりも幻想」を合言葉につくられた幻想装置。

超高度な発明でありながらも、コレら幻想の中にいると、人間はしだいに病んでくる。

キリスト教徒の精神状態を書いた文章があります。

転じて、現代日本人の心模様ともいえる。

ニーチェの書いた文章です。

「キリスト教は邪教です!」より

キリスト教信者の精神構造はこうなっています。

内側に引きこもって、神経質にものごとを考えていると、不安や恐怖に襲われる。

それが極端になると、現実的なものを憎み始めるようになる。
そして、とらえようもないもののほうへ逃げ出していくのです。

また、きちんとした決まりごと、時間、空間、風習、制度など、現実に存在しているすべてのものに反抗し、『内なる世界』『真の世界』『永遠の世界』などに引きこもるのです。

『聖書』にもこう書いてあります。
『神の国は、あなたの中にある』、と。

現実を恨むのは、苦悩や刺激にあまりにも敏感になってしまった結果でしょうね。
それで『誰にも触って欲しくない』となってしまう。

神経質になって悩み始めると、なにかを嫌うこと、自分の敵を知ること、感情の限界を知ること、そういう大切なものを失ってしまいます。

それは自分の本能が『抵抗するのに、もう耐えきれないよ』とささやいていると感じるからでしょう。

彼らは最終的に、現実世界とは別の『愛』という場所に逃げ込みます。
それは、苦悩や刺激にあまりにも敏感になってしまった結果です。
実はこれがキリスト教のカラクリなのです。

この文章が、キリスト教、もといイデア論のつくりだす世界ですね。

猟奇的な犯罪者も、こういう世界に閉じこもってるんです。

最近は、ニーチェの本がよく出版されてるみたい。

日本人も、感覚的にニーチェを求めてるんだと思う。

ノミナリストのニーチェこそ、今の日本には必要。

だから僕は、ノミナリスト。

イデア論を否定する立場。

この文章で定義した流れでいえば、哲学そのものを否定する立場です。

反哲学

ニーチェの態度と同じです。

「哲学」は、お金や恋愛といった、僕らがあたりまえだと思っている事そのもの。

ふつうの、あたりまえのはずの生活を作りあげているものなんです。

だから、生活の支配構造なんです。

きょうのまとめ

哲学は、なんで、どうして生まれてきたの?

そのことを下に載せときます。

哲学の誕生秘話、2500年前の古代ギリシャの思想家たちを追いかけた、僕の哲学文章の集大成です。

あるいは、今回の文章のエピソード0のような位置づけになるのかな。

引用・参考文献も巻末に書いてます。

目次
1・哲学はなんでアテネで生まれた?

2・「銀」が「銀貨」になるまで

3・ギリシャ人にとっての銀

4・人々がマネーでバランスを取り合う=『正義justice』

5・最高の独裁者・ペイシストラトス

6・ピタゴラスの早すぎた反逆

7・アテネが壊れていく中で、哲学は妄想チックになってゆく

8・ロゴスってなんですか?

9・ソクラテスとプラトンの詐欺国家

10・イデア論〜僕らの時代の念仏〜

11・予定調和という破壊思想

12・僕らは、ソクラテスに支配されている


以下は、そのダイジェスト。

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コメント

  1. 中北潤之介 より:

    こんばんは。
    友人から、キョーさんのことのこを聞いてコメントさせて頂いています。
    中北潤之介といいます。北九州在住のまだまだ駆出しの作家です。
    ニーチェよく読みました。ただ僕の場合、強烈なキリスト教徒です。
    それでも構わないのなら、是非一度拙著「夷狄バーバー」幻冬舎出版を、一読して頂きたいと思ってます。

    では。

    • きょうさん きょうさん より:

      中北さん、コメントありがとうございます。

      いいじゃないですかキリスト教徒。
      実は、僕はもともとキリスト教にシンパシーを感じていました。

      「夷狄バーバー」は、僕自身がホントウに求めたときに読みます。

      ここ10年、小説をもうまったく読まなくなりました。
      僕自身、小説を書いていたにもかかわらず、です。
      マンガや映画は見ます。

      哲学本すら読まなくなりました。

      かわりに、カラダを動かすことが好きになりました。

      哲学でいえばノミナリストになったということなんでしょうが、それすらも過ぎていったように思います。

      「知りたい」の時代を過ぎて、いま僕は、「強くなりたい」の時代です。

      それでも作家型の人のどうしようもない感覚は、僕はよくわかります。
      作家活動、応援してますよ。

  2. 中北潤之介 より:

    ご返信ありがとうございます。
    でも、お言葉ですが、作家ですよ。もう既に。お互い。出会いが欲しくなっただけでしょう。山ごもりだけでは、賢者にも成れぬと悟られたのでしょう。
    それに哲学とは、知識によって成されるものではない。闘いとるもの、漸次発見され得るものであって、永遠の女性なんです。ソフィアとは。常に途上にあるものであって、ニーチェの云うように「生」を本気で愛し、我がものにしようともがく過程そのものでしょう。何んも変わっちゃいない。存在は存在としてあるだけ、それぞれテンポラルな要求に従えざるを得なかった、様相モード、それだけでしょう。おそらく。

    • きょうさん きょうさん より:

      中北さんは、本物のニーチェ理解者です。
      きっとその通りで、僕は山ごもりをやめたかったのです笑

      現実の、生の現実ととっくみあいたいんです。
      それこそが哲学なんだと、
      「あーそっか、そうだな」と得心いたしました。

      気づかせてくれて感謝します。
      ありがとうございます。

  3. 中北潤之介 より:

    ニーチェのソクラテス論に異議あり。
    死に瀕するソクラテスの愛弟子への、かの有名なの言葉。「おお クリトンよ、わたしはアクレピオス(医術の神)の雄鶏一羽の借りがある」(o Creto, I owe Aclepios a rooster英訳)をニーチェはこう解釈する。ソクラテスはやっと安楽の死の床に就かせてくれる、医術の神に手を合わせた。彼とて、一個のペシミストに過ぎなかったのだ、と。だが、なんという凡庸で、馬鹿げた解釈だろう。そう謂わざるを得ない。
    アクレピオスとは、先ず、何かを一挙に象徴した、この大賢者のシンボル発話であり、自分を楽に殺してくれる世話人の代名詞でもなければ、医者の先生の象徴語でもなかろう。むしろ、自分のような変人に最後までついてきて匿ってくれた人たちへの善意の象徴であったろうし、更には、人間理性、科学知、自己最期の覚りの不意なる到来への、彼自身の精一杯の感謝の念、大いなる信頼感の「擬人化」を、そのまま示すものでもあったろう。雄鶏は古来より、朝、始まり、男性的な回春の象徴であった。まるでアメリカの西部劇で、猛者たちが、死に瀕して、最期のジョークを囁いて死ぬように、この大ソクラテスは、あたかもその最初の最高の見本を見せるように、名科白を吐いたに過ぎなかったろう。
     

    • きょうさん きょうさん より:

      ニーチェそんなん書いとりますか笑
      ソクラテスやらプラトンやら、散々オプティミズムの元凶としてこき下ろしてきたくせに笑

      まーソクラテスは、中北さんのおっしゃる通り、永遠世界の方に行ったんだと思います。
      明るい明るい永遠世界に。

      そういう音楽的な世界観、僕も魅せられたからキリスト教に親近感抱いてたんですけどね、でもま、夢の世界ですからね。
      一人の夜なんかにシンプルにいい音楽聴いてりゃ、それがソクラテス・プラトン的な贅沢なのかな、とも思います。

  4. 中北潤之介 より:

    活字離れした、今日の若者の無学ぶりを嘆く声。それは永遠に終わることなどなかろう。だが、そんな彼らも、過去の偉大な漫画の伝説的な力には、無関心では、いられないようだ。この際、巨匠手塚を出す必要性は、おそらくなかろう。「あしたのジョー」。この一作で十分だろう。不朽の名作と云われるためには、興味を引くように巧みに計算された、ストーリー性や物語のコンセプトの独自性だけでは、甚だ不十分である。最も重要なのは、実は人物、すなわち「キャラ」の存在感、その得も言われぬ魅力なのだ。人間にとって、人間ほど、興味をそそられる存在はないからだ。ボクサー育成に命を燃やす、丹下のおやじと、謎めいた不良少年ジョー。これだけで、インパクトは強烈にして、十分なはずなのに、終いに、ジョーの宿命の最強ライバル、力石徹が突如、読者或いは視聴者の面前に、姿を現す────。岩のように憮然と、ライバルの前に、ただ長い両腕をだらりと垂らし、目をギョロリと分けもなく、上目をヒン剥いて、不気味にテカル、浅黒い肌を聴衆に晒しては、骸骨のように、只、立ちはだかる。非情なる札付きの、不良青年ボクサー。リキイシ、トオル。この男の存在が、未だ上演中、唐突な登場だったとはいえ、何より、圧倒的だった。凄すぎた。この天使よりは、悪魔にかぎりなく接近した、典型的な、「人でなし」と一見評するほか、術の見当たらない男も、一旦、その仮借ない減量に無言のまま堪え、ひとえにわが宿敵、矢吹ジョーへの尋常の域を遥かに逸脱した、彼の「敵愾心」も、その静かに燃え滾る炎虚しく、死するかげろうのごとくわれわれの前から、彼もまた、消え去るとき、じつは、この世で、一番宿敵「矢吹」をわが誇りとして、恭愛していたものは、他ならぬ、あの、惡鬼のごとき、かつてのライバル力石であったことを、われわれは、遅ればせながらも、知ることと、なる。こんな友情もあったのか、と誰もが、そのとき、面を喰らい、その「暗きヒーロー」の亡骸が、帰らぬ棺として流されているのを、われわれは、おろかにも、ただ呆然と見送るより他に、術もなかった。原作者梶原一騎。この悪鬼がごとき、われらのヒーロー像こそ、泣く子も黙る、この漫画界きっての、立身出世主義の権化にして、文字通り暴漢役すら、進んで実生活上演じていた身長180センチを超す、巨漢梶原の、赤貧に甘んじてもなお、小説家としての筆を折ることなかった実の父への、アンビヴァレントな決して満たされるとこがなかった、その憧憬と憎悪相乱れる混淆物の、記念碑的な証であり、見えない実父への、誰からも侵されえない、切れようもない尊敬の絆であったろう。僕はそう信じて止まないのである。

  5. 中北潤之介 より:

    習慣が人をつくる、という言葉がある。日本人は素直に、明るく「ありがとう!」と他人に云えない。それを、恥ずかしいなどと、云う。本当に恥ずかしいのは、寧ろそんな惰弱な生活習慣を「異常」とか、「ヘン」と素直に感じられなくなった、われわれ自身なのだ。人が人に役立とう、人に気持ちよく接しようと努めて毎日欠かさず、心掛けない限り、自分の心も、家族も、地域も、国も一向に明るい未来を輝かせたりはしないのだ。われわれの甚だ横着で、恩知らずな心の態度が、今日の「無明地獄」、「経済ドツボ」を積極的に制作しているのであり、自分だけこっそりいい目を見たみたいと云う「素直な」?心根だけは、この一億人の「蜘蛛の糸をいつまでも攫んだ、カンダタ」勢どもは、手放す気は一向に、ないらしい。“お客様は神様です”、などと空とぼけた、たわごとをほざいていたくせに、外国籍のお客様には内心「お断り」だそうだ。われわれこそ、世界中で実際、「共生=お断り種族」のナンバーワンの座(靖国崇拝=ミスターロボットたちへの、日本嫌い憎悪で自動で作動して“呉れ”る、特上電気椅子の御丁寧なプレゼント、?)を用意され、日々、見せつけられているのに、、、、。われわれを救ってくれる力を持っているカミサマ?は、唯一其の「カミサマ」達だと、誰も気づかないとでも云うのか。(あの、トヨタすら気づいてるよ!坊主!)売り上げは、すべてを癒す、ってか。誰が、癒すだけ、「売り上げてくれる」の?エリート銀行マン?年金くらい、絶対、ぽっちーぽっちのボキ達の、お財布の小見から、────?(いやいや、日本全土に蔓延る、神社の御賽銭があるぜー!まだまだ、ガハハハ、は !!!)
    あの希代の駄々っ子、オスカーワイルドでさえこう云っているというのに、、、「われわれの心が、天国をつくり、地獄もつくる」、と。このアイルランド国出身の、デカダンの盟主の方が、寧ろわれわれ、唯我独尊の、永遠の「檀家おやじ」より、遥かに仏教の真理に通じていたとは、、、。くわばら、くわばら、、、。

  6. 中北潤之介 より:

    御存知英国の老舗バンド、ポリスの大ヒット曲に「見つめていたい」原題every breath you takeと云うものが、ある。シンプルだが、とてもいい曲だ。────彼女、以前から好きで、誰からも紹介されたわけでもなく、「僕」のことも、気に留めてくれているのか、それすら、正直自信がない。まあ、いいや。BGMもなかなかだし、このままグラスを握ったまま、この熱帯魚の泳いでいる水槽越しに、ちらちら、彼女を見つめているだけの僕だが、、、でも、なんだ。あの子だって、この水槽を悠々と、気ままに泳ぐグッピーみたいじゃないか、、、。あの紫のやつかい、それともあの異常に目立つ熱帯色の、真っ赤なコ、サカナかな、、、。
    そうやって、自分が一人の「男」に、胸板一枚厚くなった成長した、父性すら感じれるように「僕」も成ったみたいだが、この鏡を見ろ、やっぱ、髭が生えかかった少年にしかまだ、傍からは見えないや、、、。こんなリーダー、スティングの実直な、若き英国人らしい、はにかんだ姿が浮かんできそうだ。
    原題は寧ろ「あなたの、吐息のいちいちが、、、」every breath you takeだが、それでは、ちょっと露骨、エロチック過ぎて、日本の一般リスナーには、聊か不適切だったのかもしれない。でも、この原題の原義の方が、僕には親しい。ゲーテ「西東詩集」のあの有名な文句を、彷彿とさせるからだ、、、。呼吸は、神とのわれらの深いつながりを、端的に露わにしていないか。君の胸が圧迫されるとき、神に感謝せよ!同じく、君の胸がその圧迫から、解放されるとき、神に感謝せよ!この詩句を見た瞬間、ゲーテの弟子に僕は成っていた。もちろん、今のいままで、、、。

  7. 中北潤之介 より:

    三月一日。もう春。近くの高校で、卒業式をやっていた。思えば、卒業をテーマにした邦楽ポップス、長編ドラマは数限りなく、日本人のとても好きなテーマであることは間違いないだろう。然し、仰げば尊し、ばかりではない。日本人なら、このテーマでわが想いを各自語らせれば、皆々独自の詩思を抱き、それを自ら愛で、大切にしてゆくはずだ。希望、せつなさばかりじゃない。それだって。自ら解き放たれ、はたまた、こちらも解き放ち、何所に消えたのか、どこで実るかもわからないわれらの日々の努力、固執、思い、愛、、、、それが、いつだって行方不明になってゆく一種のむなしさを、毎年毎年経験して、はじめてこの言葉の真のせつなさ、やりきれなさを知れるのかもしれない。季節、廻り来るとはいえ、、、、。

  8. 中北潤之介 より:

    スティングの「イングリッシュマン イン ニューヨーク」「見つめていたい」、ビートルズの「ヘルプ!」。もう弾くのに、さほど難しいとは、思わなくなった。練習曲として。これは、朗報だろうか。鉄が作った街が、もう鉄を作らなくなったら、どうなるのか。イギリス。星も、或る夜、ちっちゃくも、かわいい鉄に見え、心に真鍮のような、かたいしこりが出来て、思う存分、泣くだけだ。でも、もう、誰だって、挽歌ばかり詠いたくは、ないのではないか、、、、。ノーモア、アイアン エレジー。

  9. 中北潤之介 より:

    最短解釈 ニーチェ著「ツァラトゥストラはこう語った」

    小結論 :
    この書はニーチェの独創的なギリシャ文化論、そこから帰結する近代=オプティミズム批判(科学、キリスト教における盲目的ポピュリズム批判)、ゲーテへの尊敬と継承の大々的な表明から成り立っており、本書冒頭、超人を説くところから始まるが、後半部で、やっと自らのその行動原理を、Lust生きる歓び、に見出し、而して、永遠Ewigkeitの真の意味の体得者となり、超人への「自己超克」の道をひたすら進む過程を、人間の内面ドラマを通じて描いている。

    Ⅰ 超人Übermensch

    超人とは、a.大地の意義である。Der Sinn der Erde(更には、「地球の深感」とも訳せる)

         b. 大海である。人間自体、ニーチェによれば、種々の濁流に過ぎず、大人はそれを受け止めるべく、大海原のごとく寛大な人にならざるを得ない。

    Ⅱ 力への意志 Wille zur Macht

    生あるものは、すべて地上の主人「=Herr zu sein」たらん、とする衝動の下に生活している。

    重要な科白。

    ①  血でもって書かれたものだけが、読むに値する。血こそ、精神だから。他人の血を易々と理解できるなどと、自惚れてはならない。(「読むことと、書くことについて」)
    ② 大地に忠実にあれば、皆に通用する万民向けの「理性」とか、「こざかしい処世術」などが、如何に浅薄で、取るに足らぬものかが、解るだろう。Werde der du bist.本来自分であるところものに、成れ。これこそ、われわれにとって、もっと重要な課題なのだ。(「喜びと、苦悩について」)

    ③ * 愛ばかりに耽溺する勿れ。愛は、没落と二人三脚するものである。それは、死をめざしてしまう。神アガペーは、死ななければいけなかった。痛烈なキリスト教批判、イエスの死は、初めから、必然だった。(学者について)

    ④ 勇気(Mut)を持て!勇者の前に、敵なし。勇者は、死をも打ち殺す。これが生(das Leben)であったか、ならば、もう一度!そこには、喨々と鳴り響く音楽がある。

    Ⅲ 高貴な人々による友情の国をつくりなさい

    世に只、ひとり神のみあるのか?そうではなかろう。神々こそはあるのだ、それでこそ、神聖が有り得るのだ!自己決定権を持つ高貴な人たちの共同体こそ、先ず,あれよかし!

    * 本書「ツァラトゥストラはかく語り」の最高潮 フィナーレ

    最終章 : 醉歌 Das trunkene Lied

    ツァラトゥストラは深夜夢の中で、こう、自問自答する。

    、、、、わたしの不幸にせよ、幸福にせよ、それはそれで深いものであろう。おお 奇跡の神秘に満ち溢れた、日Tagよ、でも、わたしは神ではない、神の地獄でも有り得ない、、、だが、世界の苦痛は、ただただ、深いものなのだ、、、。

    すべて、悩み苦しむものどもは、喜びに満ち、憧れを持たざるを得ない、、さもなければ、彼らは生きられないからだ!そして後継者、子供を思慕するに至る、、、だが、歓びLustは違う。それは、後継者でも、子供でもなく、己自身、即ち、
    永遠を欲する。自己回帰を、ただ等しく、己に帰り、戻るだけの自己回帰を。

    苦痛wehはこう云う、滅びゆけ!
    だが、歓びは永遠を欲する。深い深い、永遠を欲する。