〜式って必要あんの?
哲学屋きょうさん@q_ohhhですよ。
式ってめんどいよね。
飲み会だの入社式だの結婚式だの葬式だの、ため息がでてくる。
僕の祖父はいまから4年前に亡くなったんですが、めんどいのが嫌いな人で「葬式やんじゃねえぞ、てめえら」と言い残して旅だちました。
葬式もそうだけど、法事もアレきついよね。
脚が痺れるああああ!!
みんな面倒なはず。
にも関わらず、儀式は今日も世界の各地でおこなわれていることでしょう。
なんで儀式は存在するのか。
それは、儀式がないと共同体が分裂するからなんです。
昔の日本の会社も共同体。
飲み会、という儀式がないと分裂の危険。
でも今はもう、会社に共同体としての役割はない。
自分の会社の社長を「親父!」と呼べるようなご時世ではない。
だから若者は行きたくないんですよ、飲み会。
ごり押ししたらダメだって
見ている世界が違うんですよ、若者とご老人。
「今の若者は…」じゃないよ!
もうそこは焼け野原になってんの!
ノーテンキにピクニックできる場所じゃないの!
一刻も早く帰りたいっての!
いまから4年前に僕が書いた文章を引用します。
ちょっと書き換えて引用。
3人以上を共同体の発生と呼ぶのなら我々のシェアハウス(※僕、シェアハウス中なんです)も一応、共同体と呼べるだろう。
で、ですね。われわれにもルールがございまして共有する水場はきれいに使うと。
だから食器なんかは、使ったら即座に洗い、もって台所を常にきれいに保つという鬼の所行が実行されているわけですが、
僕はふと、この事から気づいた事がありましてそう、それが本稿の趣旨であります。
端的に申しますと『ルールってのは、現実に履行される事により、永続的な効力を持つ』と。
さあ、どうゆうこった。
つまりね、食器洗うというルール設けていても誰かが洗わず放置していて、そしてそれを誰もとがめない、となると、そんなルールないも同然だと言う事です。
誰も洗わなくなる、という事です。
あたりまえだと思う?
いや、これはかなり深い事なんだ。
(※中略)
食器を洗うという事は、ルールを再構築している行為だ。
食器を洗う事により
①水場がきれいになる、という主目的
と同時に
②ルールを永続化させる、という隠れ目的
この二つが達成される。
ひとつの行為の中に二つの目的がふくまれている。
僕はいま②の『ルールの再構築』に着目している。
くりかえそう。
食器を洗う事により、ルールは一回一回その都度、再生産されているのである。
ルールが再生産される事により、共同体が保たれている。
だから共同体とは一回一回、ルールという呼吸をしている生き物だといえる。
ゆえにこの事から、宗教における儀式、説明できるでしょう。
自分とはまったく関係ない宗教の儀式みてると誰もが、こんな事やって一体、何の意味があるのかと思うでしょう。
ときに気持ち悪かったりする。意味不明かつ、非合理的。
でもあれ、行為の再生産により、共同体を永続させている、と捉えれば非常に合理的な行為なのである。
というわけで、共同体における謎の規則。
「おっはようございまーす!!」などと脳みそ筋肉会社の謎のアイサツもまた、会社という共同体維持のための儀式なんですね。
儀式という呼吸がなければ分裂する。
それが共同体。
ルールは怪物と化す
上の引用のなかで、水場のルールを例にあげています。
食器を洗うことによって
①「水場がキレイになる」という主目的
②「ルールを永続化する」という隠れ目的
この2つが達成される。
2つがバランスよく達成されているのなら、健康な共同体なんです。
だがしばしば、①が消え去っても②だけが作動している状況が、現代日本においては見られるわけで。
つまり「おっはようございまーす!!」などと脳みそ筋肉会社の謎のアイサツなんかは、もはや礼儀としてのアイサツを越えて、②の「ルールを永続化する」という隠れ目的だけが自律している現象。
こうなると人間辛いです。
自分が消えて、意味も消えて、共同体という巨大な幻想に押しつぶされているんですから。
「共同幻想」というコトバがある。
吉本隆明のコトバです。
最近、以下の吉本隆明の思想をまとめた著作が静かに話題。
日本の会社は共同体
「会社の新入式があるのは日本だけ」とよく言われるんですが、年功序列もそうだし、上司より先に帰れないなどなど。日本独特。
ただし、これは言い換えねばならなくて。
式や年功序列は日本の特徴ではなく、共同体の特徴なんです。
世界のどこでも、共同体でおこなわれている特徴なんですよ。
日本の会社は機能集団じゃないんです。
共同体なんです。
機能集団は人格を吸収しない。
個人の生活に干渉しない。
共同体は、人格を吸収する。思いっきり個人に干渉する。
今ここの部分で、日本人は分裂していますね。
- 共同体→おじさん
- 機能集団→若者
(関連著作で詳しいのはコチラ)
若い人は、会社を機能集団としか見なしてないんですよ。
「生活に干渉してくんなよ」と思っている。
でも古い経営陣は、個人に無制限に干渉してくるわけでしょう。
そしてそれをアタリマエのことと見なしている。
ここで分裂が起きています。
それでも日本の会社。
共同体だからこそ、戦後あれだけの異常な進化を遂げたのも事実。
会社で家族ぐるみで運動会やったりね。
個人と会社の垣根があいまいだった。
共同体ゆえに。
それで株価の時価総額。
瞬間最大風速でアメリカを抜き去り、世界ナンバーワンになったという事実がある。
1989年のことかな。
だから日本の共同体は凄いんです。
いや凄かったんです。過去形です。
その幻想がいまも消えない。
哀しいけれど、それはもう過去。
オジサン達にはモノの見方を変えてもらわないといけない。
かつての日本経済は乗っ取られた。もう戻らない。
興隆を誇った日本型の会社は1998年、アメリカのローレンス・サマーズによってボロボロにされたんですよ。
もう戻らないんです。
日本経済は潰されたんです。
その後遺症が今も消えない。
トーマス・フリードマンという記者の『Yanks Invade Japan アメリカが日本を侵略する』という題名の文章があります。
日本語訳の方を、こちらに引用します。
『堕ちよ!日本経済 アメリカの軛から脱するために』p45~p46(副島隆彦著 祥伝社 2000年)
Thomas L.Friedman ニューヨーク・タイムズ紙 1999年2月19日 『Yanks Invade Japan アメリカが日本を侵略する』
《日本語訳》
今世紀で二回目だが、アメリカ合衆国は、今や日本を占領した。
アメリカ上陸部隊は、ロバート・ルービン財務長官を最高司令官とし、ローレンス・サマーズ統合参謀本部議長によって率いられている。上陸するや、アメリカ軍は、ただちに日本銀行と大蔵省を占拠し統制下に置いた。
アメリカの貿易赤字は年額換算でついに過去最高の三五〇億ドル(三・五兆円)にまで膨張した。この事実がわかった三〇日後に、この侵攻作戦は敢行された。
アメリカの巨額の貿易赤字を憂慮して、投機家のジョージ・ソロスは、米ドルの二五%の暴落を見越して投機を仕掛けた。ソロスは、米ドルを大量に売ってヨーロッパのユーロ通貨を買い込んだ。
他の投機家たちもソロスの動きに呼応して米ドルを売り込んだ。さらには、米国債をも投げ売った。そのために、たった一晩で、アメリカの金利は一二%に跳ね上がった。・・・
サマーズ将軍は、ハーバード大学の経済学者だったのだが、彼は自ら手を下して、榊原英資財務官(大蔵副大臣)に対して再教育(洗脳教育)を施した。
噂によると、在日アメリカ大使館の中の一室で、榊原英資は拷問を受けた。彼は、まぶたを閉じられなくするために額にテープを貼られ、休むことも許されずに、ずっと大声でマネタリスト政策を日本で実行しつづけるように、ミルトン・フリードマンの文章を読み続けることを強制された。榊原が閉じこめられた部屋からは、恐ろしい叫び声が聞こえた。
(引用はこちらの著作から。)
日本経済は潰されたんですよ。
その主犯のローレンス・サマーズは、ハーバード大学の講演会主催者からコーンパイプをもらっている。
コーンパイプはマッカーサーの象徴。
転じて日本占領の象徴です。
敗戦で荒廃した戦後日本。
それでも「お前らは捨てない。一緒に頑張ろう」と言ってくれた社長がいた。
従業員は涙が出るほど嬉しかった。
だから残業だってなんのその。
「みんなで力合わせて復興するんだ」と。
いまはもう会社に個人的な恩義はない。
ないにも関わらず、残業だの個人干渉だの、過ぎ去った共同体型のカラミ。
もう共同体ではないんです。
共同体ではなくなった瞬間に、日本経済は終わりました。
会社に行きたくない従業員だらけになりました。
だから儀式はもういらない
儀式はもういらないんですよ。
会社が共同体ではなくなってしまったんだから。
会社の飲み会なんか行きたくないでしょう、今の若い人たちは。
共同体と見なしてないから行きたくないんですよ。
飲み会も儀式です。いらない。
現代は会社以外にも共同体がバンバン発生してるじゃないですか。
オフ会などといって、あれも共同体ですね。
新種の共同体。
日本人がいきいきできる場所は、自分の人格をあずけることのできる共同体。
これはもうアメリカの日本研究によって明らかになっていることですから。
だから新種の共同体を、僕は大いに歓迎します。
オフ会ね。
そこから新しい発想や動きが生まれるわけで。
そうですね。
そういう人たちとの飲み会ならいい。
そしてそれもまた、新たに発生した儀式なんです。
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