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「君の名は。」で注目!諏訪大社(長野県)に眠る遊牧文化
哲学のきょうさん@q_ohhhですよ〜。
友人が長野の諏訪湖にいってきました。
全世界大ヒットの映画「君の名は。」のモデルになった場所です。
友人は「君の名は。」にハマったようで、東京から諏訪湖まで新幹線2時間かけてすっ飛んでいったそうな。
それで話を聴くと、諏訪大社というのがある。
大社とつけば、総本山じゃないですか。
なんでこんなところに大社が存在するんだと、私は考えこみました。長野ですからね。
北九州、出雲、あとは新潟なんかの日本海側は、古代の主舞台。
その次が近畿地方ですね。丹波・近江・あとは東海。
近畿地方、奈良や京都は、閉じこもりにちょうどいいから、首都になったんです。
ユーラシア大陸のゴタゴタに関わりたくないから。
あとは琵琶湖という、天然の高速道路があった。
長野となれば、それはもう出張先というか、日本海側からみれば、フロンティア(未開拓地)。
長野のことを書いてあるのが『信濃が語る古代氏族と天皇 善光寺と諏訪大社の謎』(関裕二著 祥伝社新書 2015年)
さっきアマゾンで買ったんで、届くのを楽しみにしています。
「馬」。それが信濃発展の理由。
追記です。届きましたよ。
『信濃が語る古代氏族と天皇 善光寺と諏訪大社の謎』。
で、ざっくばらんにいうと「馬」が信濃発展の理由ですね。
信濃で飼育してたんですね。長野盆地。
P121より引用
五世紀後半から長野盆地では無数の小機本じゃ積石塚古墳が造営されるが、長野県松代周辺にその密集地帯がある。
総数は約九〇〇基におよび、高麗系や百済系の渡来人のものと目されている。いわゆる扶余系の騎馬民族の末裔が、この地に入植していたのだ。
で、この長野盆地を見出したのは、物部氏なんですよね。
物部氏は大豪族。のちに蘇我一族との権力争いに敗れますが、古く由緒正しいのは物部氏のほう。
「日本」が生まれる前のボス豪族といっていい。
これも著者の関氏が書いてますが、岡山の吉備が物部氏の拠点だったと。
大企業の物部氏だからこそできたフロンティア発掘といえる。
信濃はフロンティアですよ。
吉備からもかなり遠いです。
吉備の発展はアフガニスタン経由か?
吉備の発展、著者は、前方後円墳の成り立ちから分析してるんですね。
栗本氏も、前方後円墳のことを書いていたような。
手元に資料がないのでうろ覚えですが。
吉備といえば、瀬戸内海。
瀬戸内海は、のちに平家も根城にしていますが、ここが現代日本でいうところの横浜だったんですね。
貿易量№1の街。
すでに、日本建国以前に瀬戸内海が浮かび上がっている点が、不思議といえば不思議。
私たちの一般知識では北部九州が貿易No.1のイメージがあるんですが、そうでもない。
私たちの知識から、瀬戸内海が抜けてるんですね。
なんで瀬戸内海なのか。
前方後円墳の出現と合わせて考えないといけない。
ウィキペディアより「前方後円墳」
主に日本列島で3世紀中頃から7世紀初頭頃(畿内大王墓は6世紀中頃まで)にかけて築造され、日本列島の代表的な古墳形式として知られる。
前方後円墳が、3世紀から7世紀ですからね。
この時代、注目すべき国があって、それは現アフガニスタン(+北部インド+パキスタン湾岸部)のクシャーン朝。
カニシュカ王という人物が有名。
アフガニスタンといえば仏教ですね。
紀元前にはアレキサンドロス大王もこの辺りまでやってきてます。
だからギリシャ文明も交じってるんですね。
クシャーン朝には、逃げ延びてきたキリスト教のアリウス派もいました。
異端宣告受けたグループですね。
だから、文化ごったまぜの地域なんですよ、紀元後すぐのアフガニスタン。
現代は危険なイメージついて回るアフガニスタンですが、それは裏返せば、繁栄きわめる可能性がモノスゴ高い地域だということ。
イラクもそうですが、地政学用語でいう「リムランド(沿岸部)」なんですよ、アフガニスタンもイラクも。陸と海をつなぐ要所。
東アジアでいえば旧満州がそう。
かつて帝国日本軍が桃源郷を謳ったのが満州ですが、陸と海をつなぐポイントは、覇権国家が喉から手が出るほど欲しい地域です。
あとは防衛上、隣国に突き刺す刃にもなるわけですね。
とったもん勝ち。
だから旧ソ連もアフガニスタンに侵攻した。
話がずれましたが、つまりカニシュカ王の頃にはアフガニスタン、立地条件を最大限に生かして繁栄してたんですね。
正確には、アフガニスタン・パキスタン・インドあたり。
しっかり湾岸を占領しているのがミソ。
(ウィキペディアよりクシャーン朝の勢力範囲図もらいます。)
現パキスタンのグワダルと、ほぼ変わらないポイントをクシャーン朝は制圧しています。
そしてグワダルといえば現在、中国が実効支配している場所ですよ。
中国が海外の港湾に基地を作る作戦に力を入れている。そのなかの重要なプロジェクトはパキスタンのグワダル港の建設と運営権の確保だ。2013年にグワダル港の運営権はシンガポールから中国企業が引き継いだが、そのことによる影響は世界的なものとなる。 中国が確保したパキスタン港湾運営権の戦略的重要性 - ダイヤモンド・オンライン |
グワダルは、インド洋交易におけるそうとう重要な場所だと考えていい。
防衛上、交易上、めちゃくちゃ大事。
つまり、現代中国と古代クシャーン朝は同じ発想をしているということでもある。
そして、この交易ラインの延長上から古代日本・ひいては諏訪大社の謎が解けるんじゃないかと、私はいいたいんですね。
ここからは調査不足で想像の範囲内ですが、クシャーン朝経由の海洋貿易が盛んだったのではないかと。
それが日本まで来ていた。
日本からいえば、南からクシャーン朝経由の船が来るわけです。
船は、わざわざ北部九州までいく理由がない。
北部九州は朝鮮半島との貿易、つまりユーラシア大陸横断の貿易の恩恵を受けた地域だといえる。日本海側はすべてそう。
瀬戸内海は逆で、アフガニスタン、パキスタン経由・海洋貿易の恩恵を受けていたのではないか。
だいたい紀元前後の倭国は戦国時代ですから。
いろんなルートがあるほうが当然なわけで。
であるなら、ズボンをはいていた遊牧民族たるカニシュカ王の、その文化が瀬戸内海は吉備、物部氏に波及していてもおかしくない。
折しも物部氏は、わざわざ信濃というフロンティアを発掘してまで「馬」を飼育しているわけです。完全に遊牧文化。
壮大な話ですが、現代の「国家」というフィルターを外してみれば、あっても不思議でない構図が浮かび上がります。
かつて「日本」などなかった
日本などなかったんですよ。
私たちは、この日本列島にて暮らし、日本語を話し、「日本」という概念のなかに生きている。
でも、そんなものはなかったんです。
それは中国も同じで、「中国」なんてものはなく、あの広い大陸、ユーラシア大陸の東端を、いまは中国と呼びますが、もともと明確な国境などない。
だから、中国と日本の関係でいっても、中国も日本もごった混ぜになっているひとつの地域です。
下の地図から、国境と国名を外してみてください。脳内で。
たんなる大きな地域なんです。中国も日本もない。
あるのは各民族の均衡。バランス。
馬を乗りこなす冷酷かつ無慈悲な連中が、住み着いたり征服したりのくりかえし、各民族のバランスが、たえまなく変動するのが古代です。
私たちの「国境」の概念で見てはいかんのです。
それは近代国家の概念です。
国境は、人工物です。
パスポートもビザもなしに遊牧民族はいきなり現れます。
遊牧民族の爆発的発展
遊牧民族は、日本列島にも来ています。
私見では、紀元前700年くらいに、遊牧民族は大きく発展を遂げた。
それがなぜなのかは、まだ私にはわかりません。
現トルコ、ヒッタイト発祥の製鉄技術が、ここで爆発的な発展を遂げたのかと予想をつけています。
この遊牧民族が、世界史におけるたいへん重要な推進役、といっても当時の人たちにそんな余裕はなく、いきなり押し寄せる馬上の悪鬼どもに、ものすごい恐怖感を抱いていたでしょう。
この遊牧民族から逃れるため、あるいは遊牧民族自身が、領域国家をつくるようになっていく。
良くも悪くも無慈悲の騎馬民族が、世界史の主役だったんですね。
紀元前7世紀ごろの遊牧民族へのそれぞれの対処が、
- 帝国のかたちで現れたり(アケメネス朝・ペルシャ)
- 宗教religionだったり(ユダヤ教)
- 貨幣、マネーの開発に至ったりする。(古代ギリシャ思想)
帝国・宗教・マネー。
これら全部、激しく強烈な遊牧民族にたいする防御策なんです。
マネーの話をすると、マネーをつくったのは古代ギリシャのアテネです。
つくったというか、国家戦略として採用したんです。
けれど、そのアテネはスパルタに敗れて(ペロポネソス戦争 紀元前404年)地位を失う。
この敗戦の意味は、現ウクライナにいた遊牧民族、スキタイ人との交易路である黒海利権を失った、ということなんですね。
現トルコのイスタンブルを失ってアテネは降伏したんですよ。
ここでも遊牧民族が重要で、彼らはウクライナから一直線に極東・日本まで交易路をつないでゆく。
ちなみに黒海西岸の現ルーマニアは、歴史的に穀物地帯でもある。
もちろん遊牧民族のあいだにも勢力争いはあるんで、話はそう単純でもないでしょうが、大きくザックリ見ると、アテネ人もまた、遊牧民族のスキタイ人との交易がなにより重要だった。
そのアテネ、ペロポネソス戦争に負けて現トルコのボスポラス海峡を失ってしまう。
制海権をなくしてしまった。
だからもうとにかく紀元前の遊牧民族の、大陸横断時代をきちんと認識しないと。
その延長上に日本列島があるんですよ。
日本は世界と連動してるんです。
あたりまえっちゃあたりまえの話です。
トンデモ問題
今回私がとりあげた『信濃が語る古代氏族と天皇 善光寺と諏訪大社の謎』(関裕二著 祥伝社新書 2015年)
著者の関裕二氏は『聖徳太子は蘇我入鹿である』(ワニ文庫 1999年)を書いた方です。
関裕二氏にしろ、小林惠子氏にしろ、いまはまだトンデモ扱いされているのが、ネットを見ればよくわかる。
日本とか中国とかアフガニスタンとか、そんなものないんです。
遊牧民族は、ユーラシア大陸をグルグルと駆け回ります。
のちに日本と呼ばれることとなる島国にも当然のようにやってきている。
そのことを、中国や朝鮮の古い文献を精読し、提示したのが小林惠子さんです。
だから彼女らをトンデモにくくっちゃいかんのです。
トンデモというのは、妄想の類を吹聴するひとたちのことですね。
たしかに、爬虫類がどうのユダヤ人がどうの、頭のおかしい本は、たまにある。
中丸薫とか。
中丸薫の本は、新宿の紀伊国屋では、精神世界のコーナーに移されています。
けれど文献をきちんと繋ぎあわせた文章というのは、それがたとえ珍妙な結論に至ったとしても、耳をかたむけねばならない。
トンデモとは違うんです。
珍妙な結論は、やがて、その学問分野の土台(methodologyメソドロジー 方法論)となる可能性を秘めている。
今日の哲ガキ的まとめ
アフガニスタン・パキスタン~瀬戸内海・吉備のラインを立証できたら、そこから諏訪大社の謎が解けそう。
吉備の物部氏が、諏訪大社の長野を発掘したわけだから。
アフガニスタン・パキスタン~瀬戸内海・吉備のライン
これが、今回の私の記事で、最も主張したいことですね。
視点をアフガニスタンに移すと、古代日本の見え方も変わってくる。
「君の名は。」に登場した口噛み酒、処女の口でコメを噛んで酒を造る文化。
あれだってアフガニスタンあたりから来てるはず。
もっといえば処女崇拝もアフガニスタン経由じゃないの?
「卑弥呼」は中国文献の蔑称で、本来は日巫女だともいわれる。
太陽神信仰と処女崇拝の融合っぽい。
アフガニスタン・口噛み酒・処女崇拝・日巫女・諏訪大社・遊牧文化・物部氏。
これ全部、連動しているんだというのが、今の私の見立てです。
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