15年、苦しみまくった哲学者
哲学者のきょうさん@q_ohhhですよ。
「生きる意味」問題はホントに深刻で。
わからない人にはわからないし、説明しようもないんだけれど、本人たちが抱える世界の大きさといったら。
周囲で起こってることが一切楽しくない。
現実を、どこか遠くに感じてしまう。
世界が、あっちとこっちで分断されてる感じ。
僕は、13歳で発症しました。
家出したり詩を書いたりして、なんとか自分を保ってました。
本を読むようになって。
結局、その神経質な痛みに、直接ふれてあげるくらいしか処方箋はないわけですよ。
だから、同じ苦しみの、同じ精神世界を描いた小説をよく読みました。
三島由紀夫の「煙草」、「詩を書く少年」は、少年の苦しみを叙情豊かに描いていて、僕もこんな小説を書きたかった。
あとは太宰治の「女生徒」も。
(「煙草」収録。三島の実質デビュー作。川端康成の推薦をうけて。)
(「詩を書く少年」収録。)
(「女生徒」収録。太宰の隠れた名作。)
「生きる意味」問題にドップリ使っていた僕は、いつも周囲にたいして怒ってました。
あっけらかんと「生きる意味なんかないよ」と、答えを見出したかのように喋る人間。
大して考えてもないのにね。
世界中の人間が、バカに見えてしょうがなかった。
生きる意味はある。励ましでもなんでもなく、古代ギリシャが教えてくれる
15年苦しんで僕がわかったこと。
それは「生きる意味はある」ということ。
古代ギリシャという、哲学を生んだ2500年前の世界が、いちばん最初に見出したのが生きる意味はある、ということ。
僕らの生きる意味は、世界をめぐること。
それが生まれてきた意味。
それが自然の掟。
自然の一部である人間の摂理。
バートランド・ラッセルという哲学者の文章がわかりやすいので、ここに引用しときます。
『西洋哲学史1』(バートランド・ラッセル著 市川三郎訳 みすず書房 1970年)p36より
世界には火と土と水との一定量がなければならないのだが、おのおのの元素(それぞれ神と考えられている)は常に、みずからの勢力圏を拡張しようと試みる。
しかしながら、常に均衡を回復させるところの一種の必然性、すなわち自然法則が存在して、例えば火のあったところには灰、すなわち土ができる、というわけである。
この正義の概念_つまり永久に定まった境界を犯さないという概念_は、ギリシャ人のもっとも深遠な信仰の一つであった。
神々もまた、人間と同じように正義の掟に服されるが、この至高の力それ自身は人格的ではなく、至高の神ではなかったのである。
西洋哲学史 1―古代より現代に至る政治的・社会的諸条件との関連における哲学史 (1)
火のあとには灰が残る。
火を消した水は蒸気になる。
そうやって、「与える与えられる」の影響のなかで、それぞれ別のものに変化しながら世界は成り立っている。
お互いにバランスをとりあっている。
そして古代ギリシャでは、人間も自然の一部でした。
僕らが理解する以上に、自然の一部だったんです。
夜空の、天体の研究は、そのまま人間の研究でもあったんです。
天文学が、宇宙物理学と占星術に分離したのは、ずっと後の時代。
だから火が灰=土を生み出すように、土がやがて芽を育むように、水が芽を生かすように、「与える与えられる」のバランスのなかで、変化しながらも影響しあうこと。
この自然法則は、そのまま人間にもあてはまる。
あなたが、誰かのつくった音楽に涙したり、誰かに料理を作ってあげたり、素晴らしい仕事を成し遂げることもすべて、世界における永遠のバランス。
「与える与えられる」のなかで、永遠に変化し、永遠にバランスをとりあうこと。
これが人間の生きる意味です。
だから、一見悪いことのように思える、お金や権力を求めることも、「もっともっと強い影響を与える」という点において、生きる意味を果たしている。
ただその分、強い揺り戻しはあるけどね。
信長もナポレオンも人生短いし。
死に方も普通じゃない。
彼らも彼らで、バランスをとってるんですね。
自然界の法則にしたがっている。
だから、あなたが今こうやってこの文章を読んでいること自体、僕にとって意味のあることだし、あなたがこれから世界に飛びだしていくのなら、それはあなたにとって生きる意味。
あなたも誰かに与えて、与えられる。
そうやって苦しんでいることそれ自体が、生きる意味。
苦しみはやがて、芽になる。
めぐりめぐる自然法則。
古代ギリシャの教えてくれる自然そのもの。
それがあなたの意味。
死さえも生の一部
そう考えると、死さえも生の一部。
あなたはこれから、誰かに与え与えられて生きてゆく。
めぐりあいのバランスの中で生きてゆく。
やがて肉体が消え去ることさえ、自然法則の中のバランス。
古代のゾロアスター教は、肉体朽ちたら鳥の食料としてくれてやったそうな。
鳥葬といって。
自然の一部としての人間観が見えてくる。
火も水も土も空気もあなたの行為も肉体も、神々の宿る世界の構成要素。
この大きな意味の中で僕らは生きている。
死さえも生の一部だと、こう書いていて僕が思い出すのは、村上春樹の「ノルウェイの森」。
「ノルウェイの森」の一節で出てくるコトバが、「死も生の一部」。
「ノルウェイの森」の主舞台は、11月のちょうど今の季節。
すべてが滅びゆく季節を描いた作品。
美しくもない痛みや苦悩を集めて描写したら、なぜか美しくなった作品。
風のように過ぎ去ってゆく小説です。
世界がバランスを取るということは、すべて過ぎ去ってゆくということ。
死さえも生の一部。
そんな秋の風や、痛いような美しさがそのまま、僕らの生きる意味なんです。
「ノルウェイの森」の文庫は、新版と旧版あるんだけど、僕はこっちの旧版のほうが字体がキレイで好きです。
哲ガキ的まとめ
世界へ出よう。
死ぬことも傷つくことも生の一部。
これから、どれだけ世界に与えて、与えられるのか。
そう考えたらワクワクしませんか?
あなたも僕も、世界の一部。
今から、この文章を世に送りだすことで、そして今こうやってあなたに読んでもらったことで、僕は今日1日、生きる意味を果たした。
世界の一部になれた。
生きている意味はある。
今日、あなたはどうする?
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