古代日本の謎を解き明かす鍵はトルコにある!突厥(とっけつ)資料まとめ

古代には「日本」という概念はなかった

哲学屋きょうさん@q_ohhhですよ。

地方には古代の足跡が残っています。

私はそれら足跡を見つけるたび日本の歴史を整理し直します。

私は福岡出身ですが、たとえば宗像大社。ここは海の民族の聖地で。

朝鮮半島への出発地です。

北九州から博多一帯は、古代の中心地で、筑紫の国があった。

まだ律令以前の、ということは天皇が、日本に存在する以前の話です。

大陸の各民族のふきだまりが、ここ日本列島だったわけで。

だから私たち日本人は、いろんな顔のバリエーションを持っている。

ペルシャ人とかも海渡ってきてますし、ということは、ゾロアスター教の人間もきている。

ゾロアスターは、ドイツの大思想家フリードリッヒ・ニーチェが、『ゾロアスターはこういった』あるいは『ツラトゥストラかく語りき』で、人類のあるべき姿を仮託した。

だから日本は、大陸とつかず離れずの関係だったわけで、ところが朝鮮半島の利権を失ったのが、白村江の戦い。これが663年。

7世紀のパラダイムシフト

600年代は、世界中が激動の時代です。630年に、イスラム創始者ムハンマドが、現サウジアラビアの都市メッカを奪っている。

大事なのは、メッカが栄えたのムハンマド以前だということ。地図を見ればわかるように、紅海に接するメッカは、そもそもが巨大な商業都市だった。

私が見たところ、どうも陸の時代(支配者は突厥とっけつ。トルコ。後にモンゴルが駆け抜けた大草原を制した)から海の時代へと、交易路の大変動、大きなパラダイムシフトが、7世紀初頭に起きている。

以下の著作が、突厥について詳しいです。

7世紀、ついに陸の交易路を越えて、海の交易路が主役となった。

大航海時代が、ここでスタートしている

その大きな波がうねりと化して、極東の日本列島にも押し寄せたと考えていい。

そして663年の、倭国の敗戦。

パラダイムシフトが日本をつくった

だから後に日本と呼ばれることになる列島に、流れてきた各民族は閉じこもり、もう大陸のゴタゴタには関わらないとした。

天皇という称号も、日本という名称も、このときの閉じこもりから生まれたものです。

小林 惠子(こばやしやすこ)氏の『海を渡ってきた古代倭王』(祥伝社 2014年)

岡田英弘(おかだひでひろ)氏の『日本史の誕生』(千三百年前の外圧が日本を作った )(ちくま文庫 2008年)

斎川眞(さいかわまこと)氏・副島隆彦(そえじまたかひこ)氏の『天皇とは北極星のことである』(PHP研究所 2017年)

このへんが、大変重要な資料です。

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