遊び、楽しさ、リズムの欠如をスランプという
遊ぶことに目覚めたきょうさん@q_ohhhです。
がんばってもがけばもがくほど、物事はうまくいかない。
多分だね、うまくいく時ってリズムがいいんだ。
体がリズムにのってる。
うまくいかないときは、リズムが悪い。
がんばればがんばるほど、動きはガチャガチャになる。
そして、リズムとハーモニーこそが「遊び」の本質だといったのが、遊び哲学者のヨハン・ホイジンガ。
だから、「遊び」や「楽しい」をどうしようもなく忘れている状態を、スランプというんだね。
そこにはリズムが欠如している。
ここにいい本がある。
陸上の第一人者の為末大さん。
この本では、為末さんの本人の苦悩と、その抜け出し方が赤裸々に語られているよ。
題名にある「ホモ・ルーデンス」というのは、ヨハン・ホイジンガの著作。
さっき紹介した遊び哲学者さんね。
為末さん、この「ホモ・ルーデンス」を座右の書としてアスリート人生を歩んできたらしい。
そして「遊び」という秘儀を手に入れた。
「よし!今日もグラウンドに行くぞ」という自発的な気分と、「今日もグラウンドに行かなくては」と思う義務的な気分とでは、ほんのちょっとの違いにようでいて、実に大きな違いがある。
「したい」と「しなくては」
その間にある、とんでもない差。
視点を固定化しない
スランプの時って、ぐるぐる同じこと考えてない?
為末さんは、「悩みの原因は視点が固定化されていることにある」という。
自分の身体感覚より、頭の知識や判断を信頼しているために、身体が感じていることに気づけなくなっているケースというのもよく見かける。
これも「遊び」の欠如だよね。
ある意味、マジメなんだろうけど、マジメゆえに考え方やモノの見方が、1つの場所に固定化されてしまう。
僕が思うに、これって僕ら小さい頃から叩き込まれた思考法なんだと思うよ。
学校のテストでいい点取るためには、決まり切った方程式の反復だもんね。
なにか解決しようとするとき、どうしても1つに固執して貫き通すクセを、僕ら日本人は持ってしまっている。
別視点を持とうとすることを「逃げ」だともいう。
そういえば、文化人類学者にジェフリー・ゴーラーってイギリス人がいるんだけども。
ゴーラーは、大戦中、日本人の性質を徹底的に分析した人物。
ゴーラーいわく、「日本人は不安や混乱に直面すると、決まり切ったパターン行動をくりかえす性質がある」。
ここのところが、きっと日本人の民族習慣に組みこまれた弱点なんだろうね。
実際、バブル崩壊後に、大学進学率が上がったという。
つまり、「就職」を勝ち取るためのパターン行動の激化。
で結局、鬱になってる日本人。
こういう大きな目線から見ても、「遊び」がいかに大事で、かつ日本人にとって馴染みのない考え方なのかわかるよね。
僕たちは、もっと遊びに価値を認めなきゃならんよ。
遊びをバカにしてる間は、まあ何度となくスランプは訪れるだろうね、、、
日本人が陥りがちな「がんばる教」。
がんばる人多いし、単純に「すげえな」とも思うけど。
日本人は、たとえば「寝てない」自慢も多い。
まあすげえよ。
僕は徹夜なんか絶対ムリ。
いやそれで成果でればいいんだけどさ。
でるの?
日本的思考の中では、「遊ぶ」って怒られる対象なんだよね。
だから会社組織も官僚化していくんだろうけど。
為末さんいわく昔は「オリンピックを楽しんできます」だなんて発言しようものなら怒られたらしい。
「楽しむ」の部分がイカンらしいよ。
うるさいおっさんどもだね全く。
一方で、外国選手の「気負いのなさ」についても為末選手は指摘していて、なかなかオモロイ。
海外の選手たちには、国を背負っているという悲壮感が少なかった。
むしろ「楽しんでやっている」ように見えた。
その姿は「自分らしくそのまま行きゃいいよ」というノリにちかい。
もし、本当に苦しくなった時は、天を仰いで祈るだけ。
まあことさら、「日本人がダメで外国人がいい」なんてことをいうつもりはないけれど、日本人そのものが持ってる弱点を今ここで炙り出すことは大事なことだと思う。
たぶん、あなたのスランプ。
その原因の大半は「日本人の特性」にあって、長い年月、幼少期からインプットされた思考法なんであって。
けっこう根の深い問題なんだよね。
一朝一夕で変わるものでもない。
いま「遊び」にたいする見方はまだネガティブなものが多いだろうけども、だからこそ、「遊び」という秘儀を手にすることで、あなたは日本人のトップランナーに生まれ変われるよね。
まとめ
遊ぶことで
- 視点は変わり
- 発想が変わり
- 楽しくなって
- 忘我の境地に至り
- リズムが生まれる
子供の頃の、あの楽しい時間の再現。
それが、スランプからの脱出なんだ。
一流アスリートの秘儀。
これを、今のうちに僕も身につけようと思う。