プレゼント苦手
みなさん、プレゼントもらうことってありますよね。私、プレゼントもらうの苦手なんですよ。
「返さなきゃならない」という縛りが、自分のなかに発生してしまうんですね。あれがきつい。
基本的に、人との結びつきはドライでいいと考えています。私はいま、シェアハウスなんてしてるけども、あんまりシェアメイトとも会いません。お互い部屋を閉め切ってますし、それでいいんです。
たまーに、たまたま会って、酒でも飲みに行くかと。それがいい。
プレゼントもらうことで、望まない結びつきに参加させられる感を、強く抱いてしまうんですよね。
といっても、その人のことが嫌いだとかいうわけでもなく、結びつきの種類が、私の望むものとはちがうのです。
だから私は、プレゼント貰いっぱなしになることも多いです。「おーありがとよ!はは!」と言っておいて、それで終わりです。
強制性がイヤ
そういえば、贈与経済という言葉もある。『贈与論』の著者は、マルセル・モース。アメリカインディアンの、他部族どうしお互いに贈与しあう、という、私たちの貨幣経済とはちがう経済を、考察した著作です。
もらった方は、それを上回るモノを返さなくてはならない。返せなければ、財産は焼き尽くされる。蕩尽理論といいます。私たちの日本ふくめた東アジアでも、朝貢がある。
プレゼントしあって、お互いに人間関係のバランスを保つ。社会学Sociologyは、このバランスが成り立つ状況を「システム」と呼びます。
社会をシステムとしてとらえ、学問の力で、最善の社会環境を導く、という学問の試みが、1950年代のアメリカで流行した。タルコット・パーソンズの「構造機能主義structural-functionalism」が、もっとも有名です。
でも、そんなのムリだった。私の師の師である小室直樹博士も、この試みに参加してムリだった。
だから私は、このシステムなるものが、そして、その発生起点がほの見えるプレゼントが、どうしても苦手なんだ。と、自分を分析して思いますね。
プレゼントが強制性を帯びるとき、私は「なんだかな〜」と思っちゃう。
ん〜。ということは、あなた!!
女の子を口説きたいからといって、やたらプレゼントを贈るのも考えものですよ。
そこに強制性(ワイをもっともっと好きになって!)が、ほの見えたとき、その気のない女の子は引いてゆく。
強制性のない、暖かいプレゼントは嬉しいよね。
それこそ、あげっぱなしでも貰いっぱなしでも気兼ねしない関係が、いいですね。