【哲学の歴史】なぜ、古代ギリシャで「哲学」が発生したか?

哲学は、マネーの設計書として生まれた

哲学者のきょうさん@q_ohhhですよ。

哲学。わけのわからないコトバ。

フィロソフィーPhilosophyの日本語訳が「哲学」。

でも「哲学」というコトバでは、フィロソフィーのニュアンスが一切伝わらない。

ざっくり書くとフィロソフィーとは「ソフィア」を「フィロする」で「知を愛する」という意味ですね。

でもその訳もカタい。

本当は、もっといえば、「知恵とは人間だけに与えられた恵み。これを国家戦略として使うんだ。じゃないと殺されるから!」というニュアンスなんです。

けっこう切実で追い詰められたニュアンスです。

このフィロソフィーという発想は、古代のトルコとギリシャにおいて生まれました。

エーゲ海を挟んで、トルコとギリシャがあります。

イスタンブルという都市が重要で、いまでもトルコの中心地ですが、なんでイスタンブルなのかと。

イスタンブルのボスポラス海峡が、黒海まで抜けていくから重要なんです。

黒海が重要です。地図で確認してくださいね。

なぜなら、黒海のさらに北には、大草原がひろがっています。

ここを遊牧民のスキタイ人が駆け抜けていたんです。

のちにモンゴル人が制覇した道ですよ。

ここはモンゴル以前だって、人類史上もっとも重要な道だった。

内藤みどりさんという学者さんが「文明の高速道路」と呼んでいます。

にわかには信じられない規模ですが、この地図でいえばウクライナ、カザフスタン、ロシア、モンゴルと壮大に続く大草原。

ここを支配した民族が、人類の覇者だった。陸の道の覇者。

だからここを駆け抜けたスキタイ人と交易するには、黒海への道を確保しなきゃいけなかったんです。

それをトルコ人とギリシャ人が行なっていたわけですね。

そしてこの交易民族が、哲学、フィロソフィーPhilosophyをつくっていくんですよ。

「哲学」は「お金」と連動して発展した

この交易民族たちが、マネー(お金)なるものを発明、発展させたんです。

そして、哲学はマネーと連動して発達しました。

だから哲学=マネー(お金)でいいんです。

あるいは、マネーの設計図が哲学だった。

なぜか。

国家戦略だったんです。

とくにアテネの国家戦略だった。

ペイシストラトスという、僭主(タイタン)として評判は悪いが、最高レベルに頭のいい男が、アテネの国家戦略として採用したんです。

※参照 『古代ギリシア社会史研究ー宗教・女性・他者』(桜井万里子著 岩波書店 1996年)

軍事力ではなく、「通貨で生存圏を囲いこむ」という新しい発想。

そうとうに強力な通貨をペイシストラトスは作ったんですね。(テトラドラクマ銀貨のこと)

これは、現ロシアのウラジーミル・プーチンが、新たに国家仮想通貨を発行しようとしているのと、非常に似ている。

マネーが生まれた時、最古の哲学者タレスが現れた

マネーは最初期、古代のトルコで生まれました。ギリシャではなくて。

コインというものを交易において使うんだと。

それまではコインなんてなかったんです。

そしてコインの登場と時期を同じくして、最古の哲学者・タレスが登場します。

タレスも、トルコのアナトリア半島の人間ですね。

哲学は、マネーと連動して発展したんですよ。

その歴史を引きずって、僭主ペイシストラトスは、アテネの国家戦略としてテトラドラクマ銀貨を作ったんです。

だから哲学は小難しいどうでもいいものではなくて、民族の存亡を賭けたものなんですよ。

民族の存亡がかかっている。

大草原のスキタイ人はやりたい放題、しかも南部の現イランには、アケメネス朝ペルシャという空前の大帝国が発展しつつある。

危ない!殺される!

これがトルコとギリシャの海洋民族の共通意識だったんです。

だからマネーという知恵をつかうんだ。

マネーは、暴力なしに共同体をまとめあげる。

強固なコミュニティをつくるんです。

だからフィロソフィーとは、「ソフィアをフィロするんだ!!」という熱烈な宣言なんですよ。

あるいは信仰といっていい。

民族の存亡を賭けた信仰なんです。

はるか後代、ニーチェの叛逆

数学者のピュタゴラスあたりからフィロソフィストになっていきます。

それまでは、ただのソフィストだった。

ドイツの偉人・フリードリッヒ・ニーチェは、このフィロソフィーを嫌ってますね。

フィロソフィストのピュタゴラス、ソクラテス、プラトンあたりを天敵あつかいしていたのが、ニーチェ。

ニーチェが好きなのは、フィロソフィー以前のヘラクレイトス。

なんでニーチェがフィロソフィーを毛嫌いしたかといえば、古代ギリシャ思想が宗教チックで妄想チックに変質していった結果がフィロソフィーだからです。

そして、その変態化した思考様式が、ニーチェの生きた19世紀にも流れ込んでいたからですね。

さらに21世紀、ニーチェの嫌った思考様式はそのまま日本、アジアにまで拡大されている、ということなんです。

僕自身がこんな文章を書いているのも、日本の不可思議なあり方に疑問を持った結果、こんなとこまでやってきたというのが本音。

だから、哲学とは現代問題なんです。

まとめ

話を戻すと、だから「知恵とは人間だけに与えられた恵み。これを国家戦略にするんだ」という追い詰められた人々の信仰が、フィロソフィーなんです。

そこには民族の存亡がかかっていたんです。

ペイシストラトスの悲願が込められていたんです。

それが変質して、奇妙な支配思想になりました。

今回の文章は、以下の文章のダイジェスト。

古代ギリシャにおける哲学の誕生秘話、エピソード0を書いてます。

引用・参考文献も巻末に豊富に載せてますよ。

目次
1・哲学はなんでアテネで生まれた?
2・「銀」が「銀貨」になるまで
3・ギリシャ人が、初めてマネーを開発した
4・人々がマネーでバランスを取り合う=『正義justice』
5・最高の独裁者・ペイシストラトス
6・ピタゴラスの早すぎた反逆
7・アテネが壊れていく中で、哲学は妄想チックになってゆく
8・ロゴスってなんですか?
9・ソクラテスとプラトンの詐欺国家
10・イデア論〜僕らの時代の念仏〜
11・予定調和という破壊思想
12・僕らは、ソクラテスに支配されている

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