【現代病】固い。日本人だいたい固い。仕事も恋愛も強者はゆるい。

「身体が固いと脳が固くなる」理論

キョー@q_ohhhです。

現代人は、脳が固い。

その固さが会社のやりづらさ、恋愛へたくそ、そして変な犯罪、などなどあらゆる現代病に結びついている、と僕は考えています。

脳内にガチガチの幻想ができあがっているわけですよ。

現実、外世界を忘れて、内側に引きこもる傾向が現代日本にはある。

それって外界が魔界で、内側が心地いいからそうなってるんですよね。

じゃあ外界が心地よくなればいいんじゃないの?という話。

最近、この本を読んでいたく感銘受けたんで引用を。

p283-p284より

みなさんの身体が突然、絶頂期のゆるんだトップスポーツ選手の身体に入れ替わったとする。

そうするとみなさん、絶叫するはずだ。

なぜ?あまりに気持ちよくて快適だからである。

座って息をしているだけでも快適なのだ。しかも感動で叫びだしたくなるほど、あるいは実際に叫んでしまうほど快適なのだ。

ちょっと立ったり座ったりすれば、さらに猛烈に快適なのだ。

歩いてみれば、この世のこととは思えないほど、天国に行ったのかなと思うほど快適なのである。

※中略

身体の奥深いすべての組織からにじみ出てくる、あるいはわきあがってくる奥深い、いわば本物の快適さ、気分の良さである。

そのような快適さは人格まで変える。

とても明るくて前向きで機嫌のよい、太っ腹で、寛容な人になれるのである。

ゆるゆるの身体は天国レベルの快適さなのだと。

だから本来、外世界、現実は快適なんですよ。

僕ら先進国の人間はわからなくなってるけども、この世は魔界ではない。

身体のゆるさ➡︎脳のゆるさなんですよね。

著者の高岡さんも、このことは力説しています。

前掲書p193

私が身体活動と精神活動が連関している背景として考えていることは、脊椎動物としての人間は、魚類の時代に完成しているという持論から生まれている。

魚にも快・不快はあったはずである。身が危険にさらされるときは不快、安全なときは快の状態である。

そして魚たちは、脳、つまりいま私たちの下位脳として残されている脳でそれを処理していたのである。

そして、その脳の働きを支えていたのが、体幹部をクネクネさせる運動だったのだ。

だから、人間も魚類時代から引き継いでいる下位脳の働きを本来のレベルまで高めるのは、身体をクネクネさせる溶解運動が必要であるというのが私の持論である。

身体をくねらせる溶解運動、これが脳の力を引き出す。

魚にとっても人間にとっても。

ゆるゆるに溶けるほどにカラダがゆるんだとき、人は最も能力を発揮できる。

でも、今これを読んでいる人の中で、こんなカラダを持っている人はいないでしょう。

そんなこと知らずに生きてきたから。

身体➡︎脳理論はこれからの課題、次世代の課題であって、本腰入れたカリキュラムなどは今の日本にはない。

前述の著者、高岡英夫さんは現代人のカラダを錆びついた自転車に例えています。

ギコギコいってなかなか進まない身体。

さらに出力あげようと筋トレする行為は、錆びついた車体に鎧をかけるようなものだと。

僕ら日本人が持っているカラダは、この錆びついた自転車。

だから外界が不快だから、脳内に引きこもってしまう。

そうなると、もうデフレスパイラルでカラダも脳も固くなってゆく。

僕はカラダが不愉快だ

僕はカラダが固くなってしまっています。

ここ数ヶ月、いろいろ調べて実践していますが、容易に柔らかくなれるものではない。

もしかすると間違った努力をしているのかもしれない。

僕自身、部活を引退した高校からというもの、カラダのことを一段低く見てきました。

観念やら精神の方ばかり持ち上げて。

内面へ内面へ入ってゆきました。

哲学やっていたんです。

そして固まりました。

ここから脱出するのに、いま努力している最中です。

僕ね、ついには脳まで固まって、仕事も恋愛もできない状態になってしまいましたが、すんでのとこで間違いに気づいて、脳内世界から脱出です。

ここで脱出していなかったら、僕はつまらん犯罪者にでもなっていたかもしれません。

現代的なわけのわからん犯罪というのは、カラダも脳もガチガチに固まった連中の仕業です。

外界と遮断されて、脳内世界から帰ってこられない連中が、通り魔です。

人間の自然を捨ててしまった連中。

これは社会学用語で、急性(アキュート)・アノミーともいいます。

だからこのアノミー状態から帰るためには、身体➡︎脳理論にしたがって身体の柔らかさを手に入れること。

これが根っこからの改革だと僕は考えているわけです。

現代文明は、部分偏重型だから固くなる

現代って、部分ばかり鍛えられるんですよね。

生活だってそう。

何か1つのスキルで延々と仕事しなきゃならない。

ほんとは全体がいいんですよ。

文章書いたり家庭菜園やったりサッカーしたり、ホントはそれ全部が収入になれば、人間ここまで固まることもない。

比較優位説といって経済学の理論がありますが、これはなにか1つの特化を全員が行った方が世界の富の量は増えるという理論。

野菜作る人は野菜だけ作れ。サッカー選手はサッカーだけやれ。文筆家は文筆だけやれ。

そうすれば世界の富は増える。

これが比較優位説で、日本含め先進国、あるいは都会はこれで廻っています。

ただこれが人間を固めるんだと僕は思っていて、人間はできる限り全体に着手した方がいいんですよ。

全体に着手しとかないと固まるんですよ。

「全体は部分の総和以上」というプラトン以来の哲学テーゼがありまして、つまり部分が連動することでゆるんで、単なる部分の集合を超えた、有機的全体になるんです。

身体➡︎脳理論というのはこれで。

だから脳内引きこもり症候群から脱出するためには、全体すなわちカラダから柔らかくしないと部分である脳も動かない、幻想に固められたままになってしまう、ということなんです。

前掲書p192

もし、行動の種類によって、ぞれぞれ別の心身の装置を用意しなければいけないということになったら、その行動で使わないものはただのお荷物になってしまう。

そんな不合理なことを人間がするはずはない。そんな不合理なことをしていたら、とうの昔に人間は絶滅しているはずだ。

ということで、人間は人間の持っている内臓やら筋肉やら骨格、こういったものを奥深い装置として利用しながら、身体活動も精神活動も行なっている、その装置がゆるんで活性化すれば、身体活動も精神活動もより良いものになるのは合理的必然だ、と私は考えているのである。

カラダをゆるめれば精神もゆるむ。

僕らなんとなく気づいてるじゃないですか。

考え煮詰まったら散歩に出たりします。

このことが科学の最前線に出てこようとしている。

心身二元論をやめて、自然に戻ろうとしている。

科学力で自然力を引き出すことができれば、これはもう最強。

キョーのまとめ

だから現代病たる脳内引きこもり症候群を克服し、真に強い、生物として強い存在になるためには、カラダをゆるゆるに緩ませることが大事だということ。

やたら筋トレに走ると、逆に固めることになるんでここは注意したいところ。

僕も筋肉つきすぎて、走るのめっちゃ遅くなったことあるからわかります。

新しい身体論、新しい脳理論は、まずカラダを溶かすことから。

僕ら、まだ眠ってるんですよ。

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