自然音派の私が気に入った曲とは…?
哲学者のきょうさん@q_ohhhですよ。
僕は自然音が好きです。
寝る前にはアプリでわざわざ雨の音を流します。
夏には風鈴を。こだわって三重奏。
そんな僕が最近疲れた時に効くのがファイナルファンタジー!
私ゲームしません。苦手なんです。
FFも友達がプレイしてる横で体育座りして見てました。
でも音楽がキレイで心に残ってました。
いまも文字を打ちこみながらファイナルファンタジーのBGM。
曲名やらわかりません。わからなくていいんです。
情報や理屈はいらんのです。美しいものは、ただただ美しいんです。
情報だらけの毎日に音楽を。
思えば情報だらけの毎日。
僕の場合は哲学研究だったり、雑誌読んだり、政治のことあさってみたり。
日々、アタマ煮詰まることはよくあることで。
そんな時は私は散歩にいくんですが、散歩中だって煮詰まっている。
だから僕は、音楽を聴いてリフレッシュしますよ。
歌声のない音楽が好きです。
歌詞って世界が限定されちゃうんですよね。
だからクラシック音楽も聴きますよ。
ドイツ・ロマン派の曲が好きです。
「音だけはわからん」と三島由紀夫は言った
どっかのエッセイで、かの三島由紀夫の芸術論。
つらつらと自分の音痴について書いているんですね。
三島いわく「音は魔界」だと。
「私にとって音の世界はとりとめなさすぎる。理解の手立てがなく不安をおぼえるんだ」と。
まあおそらく音痴だったんでしょうね笑
音は不思議。
さっき僕は無声音楽が好きだと、だからドイツ・ロマン派の音楽を聴くんだといいましたが、さらに突き詰めると自然音が好きになってくる。
冒頭にも書きましたが、深夜の寝静まった頃、雨の音。
僕は暗い部屋のなかでずっと雨の音を聴いています。
寝るときにはアプリで雨の音を流してます。
スピーカーにつなぐとわりと激しい雨の音。
ゆっくり眠れるんですよね。
だから僕は、音楽の究極は自然音だと思うし、音楽の本質は自然だと思うんです。
ここらへんが、構築物の好きな三島の「音楽は魔界」発言につながっていくんでしょうね。
三島は「構築する」ということにたいするフェチシズムがありますからね。
音楽聴くと溶けちゃうんですよ、色んなものが。きっと。
キリスト教は音楽宗教
ところでキリスト教の真髄は音楽なんですよ。
キリスト教は、民衆に自然にあったモノ・習慣をおのれに取りこんで大きくなりましたが、音楽も取りこんでますね。
キリスト教の真髄は「予定調和」と言うんですが、この文字だけ見てもいかめしい。
予定調和を英語で書くと、pre established harmonyなんです。
意訳すると「あらかじめ奏でられていたハーモニー」。
とたんに幻想的で音楽的になりません?
こういうところがキリスト教の魔力ですね。
まあ確かにハーモニーなんてどうしてこの世に存在するんだと考えれば、だって僕らはハーモニーの美しさをどっかで習うわけでもなし、生まれながらに美しいと感じてしまう。
ハーモニーとGodの親和性は高い。何故「ある」のか。
Godって「ある」とは何なのか、を突き詰めるとぶちあってしまうんですよ。
ハーモニーという人間にとっては美しくも謎の現象は、どうして「ある」のか?
原因はGod。
「何故あるのか?」の行き着いた果てがGod。
何故?の原因は、すべてGodに行き着くのが、キリスト教。
だからGodは理屈だけで成り立ってるんです。
Godは「理」なんですよ。Reazonなんですね。
音楽と真逆なんだよね、本当は。
音楽に「何故?」は必要ない。
美しさがすべて。
これは神学論です。
だから日本の人が勝手に
「神はいない。」
「迷信だ。」
「俺は無神論者だ。」
なんて神学を無視したことを言っちゃいかんのです。
(神学・哲学入門にいい著作。)
ところでFFの音楽は「自然音に近い」ということが言いたかったのだ!
そう。キリスト教は、音楽を理屈まみれにしてしまったのだけれど、理屈だらけだとアタマ狂っちゃう。
だからこそ理屈まみれの生活を送る私は、より自然音に近いファイナルファンタジーのBGMに癒されてるんです。
たぶん、自然と人間はもともと1つなんですよ。
重曹もクエン酸も、部屋をキレイにしてくれるわカラダもキレイにしてくれる。
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10年間のデタラメ生活でカラダをぼろぼろにしてしまった私は、「自然」を大事にしたいと思うようになっています。
ぜんぜん興味なかったんですがね。いまは自然であることを求めています。
実はルネサンスと呼ばれる、いまから500年前のイタリアで起こった運動もキリスト教から「人間の自然」を取り返すという闘争だったんですよ。
あの時代のイタリア・フィレンツェと現代日本は、大いに似てるんです。
僕は今日も音楽生活を楽しみます。
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