最近、評価が高いアニメ。GANTZの奥浩哉氏が原作者
哲学者のきょうさん@q_ohhhですよ。
Amazonプライムのプライム動画を眺めていると、流れこんできた「いぬやしき」。
なんか予告映像が衝撃で、そのままハマっちまいました笑
クセになって…寝不足ですよ…
あらすじはコッチ。
定年を間近に迎える冴えないサラリーマン・犬屋敷壱郎は会社や家庭から疎外された日々を送っていたが、ある日突然、医者から末期ガンによる余命宣告を受け自暴自棄になる。
その晩、突如飛来したUFOの墜落に巻き込まれ機械の体に生まれ変わった彼は
人間を遥かに超越する力を手に入れることに。
一方、同じ事故に遭遇した高校生・獅子神皓は、手に入れた力を己の思うがままに行使し始めていた。
自分の意に背く人々をただただ傷付けていく獅子神と、獅子神によって傷付けられた人々を救い続ける犬屋敷。
人間の本質は善なのか、それとも悪なのか…?
強大な力を手に入れた2人が、いま、それぞれの想いで動き出す――。
© 奥浩哉・講談社/アニメ「いぬやしき」製作委員会より
現代日本のリアル
いきなりロボット化したじいさんなんて、リアルさのかけらもないクセに妙にリアルな作画。
これは奥浩哉さんの特徴といっていい。
リアルさのない事を妙に生々しく描く作風。
GANTZもそうでした。
GANTZもいぬやしきも、舞台は東京。
ズバッというと、奥浩哉さんは常に、東京人の思春期を描いてるんですね。
思春期の苦悩って、マジで生死を左右する。
ティーンネージャーは、自殺だってする。
だから奥浩哉さんは、生きる意味を失くした現代日本人の、心の奥底の苦悩を描いてるんです。
それはそのまま、ここ20年ほど多発する青少年の猟奇的殺人事件の背景だといっていい。
最近も神奈川の座間で、9人殺されました。
とても理解できない人が多数。
でも、彼の中には彼しかわからない世界があるわけで。
そんな現代日本人の心象風景を描いているのが、奥浩哉さん。
酒鬼薔薇聖斗のこと
猟奇的殺人。
僕が最も激しい衝撃をうけたのが、酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)。
1997年の事だから、今からちょうど20年前。
小学生の男の子が殺害され、その生首が小学校の正門にさらされるという事件があった。
当時、僕は小学生。
テレビ越しに伝わる酒鬼薔薇聖斗の情報に、いろいろと考えをめぐらせた記憶があります。
折しもオウム真理教の事件もあり、エヴァンゲリオンが社会現象を巻き起こし、ぬぐえない違和感に満ちた、あの1990年代後半の異様な雰囲気は忘れられない。
「世紀末」というコトバだけでは足りない異様さがあった。
僕らの世代は、もろにあの頃の空気感を浴びて育っている。
1990年代後半に、日本人の性質は変わったんじゃないかとさえ僕は考えています。
高校生になっても僕は、酒鬼薔薇聖斗、もとい1990年代後半の異様さを考え続けました。
小室直樹の予言
そんな折、手にとったのは、小室直樹氏の本。
これ、もう1982年の本なんですね。
酒鬼薔薇聖斗よりも15年も前。
にもかかわらずこんな本書いてんだ。
「あなたも息子に殺される」
著者の小室直樹博士は、天才と呼ばれた社会科学者です。
小室氏いわく、「現代はアノミー。社会は連帯を失ってしまった−」
アノミー。
とくに小室氏は急性アノミーというけれど、めっちゃ手っ取り早くいうと、これは信じる対象を失った人々の心の崩壊のこと。
エーミール・デュルケームという社会学者が残した理論です。
1800年代のフランスもまた、社会がめちゃくちゃだった。
だから、デュルケームのような社会学者が生まれたんですね。
僕は現在、東京に暮らしていて、ハタチ前後の不良じみた子らとの触れ合いもあります。
彼らの話を聴いていて思うのは、総じて孤独。
友達同士の裏切りもある。
カラダだって売る。
平気で女の子を殴る少年ら。
その一方で恋愛に依存して、浮気がどうのこうの、ささいなことに神経質。
何のあてもなく妊娠している子も。
僕が彼らを見ていて思うのは、外世界と自分たちの内輪世界が、激しく乖離している。
大人から見れば、小さな小さな世界で生きている彼ら。
けれど彼らにとっては、その小さな内輪世界が、世界のすべて。
自分の心の外世界にたいしては、躊躇なく残酷。
幼子が笑いながらアリを踏みつける。
あれと一緒。
小さな世界以外、何も知らない。
外側と内側で、倫理がちがう。
内輪になると違う。
一人一人はいい奴ら。
あとは、僕らのような、年上過ぎない、ちょい年上にあたる人間には懐いてくれる。
彼らは、兄貴的存在を求めてるのかなと思います。
上で紹介した社会科学者・小室直樹氏はまさにそのことを書いていて、「父性」が失われた社会は混乱をきたす、と主張してるんですね。
「いぬやしき」の主題は、異様な1990年代vs失われた父性
ここをもっと突っこんでいくと、「いぬやしき」の主題につながってゆく。
「いぬやしき」は、1990年代の異様さをまとう青年・獅子神 皓(ししがみ ひろ)に、父性というには頼りない、弱いじいさんである犬屋敷 壱郎(いぬやしき いちろう)が挑む作品なんです。
時代の葛藤そのもの。
弱いじいさん、犬屋敷壱郎がもつ、昔の日本にあった「知らない人でも同じ日本人」という感覚は、果たして蘇るのか。
今まだ田舎にいけば、ほぼ無防備に優しい人らが残っている。
彼らは復活するのか、滅ぶのか。
これは現代日本の問題として、切実です。
着実なイメージの企業、東レさえも不祥事起こす始末。
やっぱり1990年代に、日本は変わったのだと考えずにはいられない。
1970年代の日本企業勃興期を描いた「陽はまた昇る」。
VHSとベータマックスの戦いを描いた映画ですが、僕が見ていて感じるのは、日本企業の矜持(きょうじ)。
大きくは「同じ日本人」という信頼感がほの見える。
外世界と内世界に分かれてないんです。
でもそれが1990年代に突如、外世界と内世界に分離した。
東京人は、街で人とぶつかっても「すみません」といえない。
目を伏せたまま過ぎ去ってゆく。
これこそが1990年代の病なんです。
哲ガキ的まとめ
僕は、古い日本が、1990年代に打ち勝っていくと思ってます。
街でぶつかったら「あ!大丈夫ですか!」といえるようになる。
古い、本来の日本に戻ってゆく。
つまり、弱い父性の犬屋敷 壱郎(いぬやしき いちろう)は、1990年代の亡霊・獅子神 皓(ししがみ ひろ)を包みこんでゆく。
(これをテレビに刺せば、いくらでも映画・アニメが見られる。「いぬやしき」もある。)
(こっちは保証。)
古い日本が復権する。
目を伏せて歩くあなた、店員に偉そうなあなた、外世界と内世界が未だに分離したままのあなた、あんた時代遅れだよ!
そろそろ、次の時代の一歩を踏み出そう。
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