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わかったようで、わからん状態じゃない?
きょうさん@q_ohhhですよ。
イマヌエル・カント(1724~1804)という、現代21世紀にまで影響をあたえる人物がいる。カントは、ドイツ人です。
主著『純粋理性批判』は、意味不明かつ、とんでもない量の文章と化して、日本語にも翻訳されている。
僕も「なんじゃこりゃあ…」と思いつつ読んだ記憶があります。
わかったようでわかってない状態でしたね。
なので、この記事は「過去の僕に教えてあげる」というスタンスで書いてます。
『純粋理性批判』を限界まで、わかりやすくして伝えますよ。
(こちら石川訳が評判いい)
『純粋の理性を批判する』では意味不明
そもそも『純粋理性批判』ってなんだという話で。
はじめにいっておくと、『純粋の理性を批判する』では意味不明なんですよ。
じゃあ何が正しいのさ?
『人間が生まれながらに持っている数学の能力を、整理整頓しよう』というのが、本当の意味です。
『純粋理性批判』は、ドイツ語で『Kritik der reinen Vernunft』。
英語で『Critique of Pure Reazon』。
Critiqueが批評という意味。
日本語で批判というと、否定するというニュアンスがついてまわりますが、そうではなくて、批評するということ。
「整理整頓する」という意味です。
ピュアリーズンを整理整頓するということです。
ではピュアリーズンPure Reazonとは?
とりあえずPureはおいといて。
Reazonからいきましょう。
ざっくりいうと、Reazonとは、すべての事柄を、数、量に換算するということです。
質ではないんですよ。数、量です。
これなかなか人間にできることではなくて。
たとえば恋人との愛に溢れたひとときを、数式にしてどうするんだという話で。
ご近所づきあいも質。
おすそわけにお金払わないでしょ。
でも、なんらかのカタチでお返しします。
これが質。無形資産ともいえる。
田舎のご近所づきあいに疲れて東京へ出てきた君。
見ず知らずの他人ばっかの東京。
この時点で君は、社会に出た状態。
社会にご近所づきあいなんかない。
すべては職種とマネーによってつながる関係。
これが社会。
マネーが、いついかなる時も必要な状態。
これが社会。
マネーという量換算にて、人と人がつながる状態。
この状態が「社会」であり、もっといえば「Reazonの具現化」なんですね。
Reazon、日本語では「理性」「合理」と訳されますが、そんな上辺の訳語じゃダメですね。
あと、「お金は汚いものだ」という迷信もいまだにありますが、さっき言ったようにお金(マネー)によって、人と人がつながるというポイントが大事。
そういった気持ちのいい宗教的響きがあるからこそ、マネーは、ご近所づきあいに代わって、世界メジャーに居座ったわけです。
かつてメジャーだった地縁・血縁に、マネーは打ち勝ったんですよ。
マネーという宗教が体系化されたのは、サン・シモンにおいて。
新キリスト教と呼ばれました。
『マネー』という古代ギリシャ思想の産物
お金(マネー)の歴史は古く、古代ギリシャ思想の揺籃期(ようらんき、ゆりかごの時期)には、発見されています。
つまり現代からおよそ2500年前ですね。
ざくっと言ってしまえば、古代ギリシャ思想そのものが、お金(マネー)の設計図なんですよ。
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アリストテレスも、貨幣論を大々的に扱っています。
あとは、プラトンの「国家」も、お金(マネー)を中軸に、あるべき国家を想定しています。
古代ギリシャの歴史は、戦国の歴史そのもの。
「どうやれば生存できるか」、「どうすれば人々を囲うことができるのか」という危機感があった。
それを武力ではなく、お金(マネー)でおこなうと。
マネーは、人々がお互いに信頼しあうことで成り立つわけですから。
お互いがお互いに依存する、ということです。
マネーは、コミュニティをつくりあげるんですね。
商業民族のギリシャ人らしい発想です。
ここらへん、現代日本人はなかなか理解しづらいでしょうが、いまはビットコインなんかも出てきている。
ビットコインの根幹であるブロック・チェーンも、まさに「お互いがお互いに依存する」構図なんであって。
その結束に成功したからこそ、いまもビットコインの価値は上がり続けているわけです。
貨幣は「お互いがお互いに依存する」構図によって、ひとつのコミュニティをつくりあげる。
武力で抑えつけて、ムリヤリいうことを聞かせるわけじゃないんですよ。
むしろ「そのコミュニティに参加したい」と、人々に思わせることができる。
だから貨幣発行権は、権力のなかの権力です。
現代も貨幣発行権は、最高レベルの権力です。
そして、その構図を発明したのが、古代ギリシャ思想。
しかし、よくもこんなこと考えついたものですねえ。
現代のインターネットの興隆と似たものがある。
捨てられては甦るReazon
古代ギリシャのマネーは最強のイノベーションなので、いったんは支配層に研究され利用されます。
されるんだけれども、最後には嫌われて捨てられて、またどこかの支配層が拾いあげる、という道を通過してきている。
現代では、中央銀行がマネーをあつかう専門機構ですが、これもなかなか嫌われて、現にアメリカでは「中央銀行不要論」すら出てきている。
トランプどうすんのかな~。
日本では、「円」を死に体に追いやった日銀の後釜なのかなんなのか、三菱東京UFJが、MUFGなる仮想通貨の発行にふみきったそうな。
いまから一千年昔のイスラーム世界でも、マネーは満開しました。
その頃は、イスラームが世界の中心だったんですね。
でも、いったんは華咲かせたものの、やっぱり最後には嫌われました。
ただ、この思想をずっと暖めてきた宗教があって、それがユダヤ教です。
そのユダヤ思想が、現代から見るとおよそ500年前にキリスト教と合流しました。
キリスト教圏が力をつけはじめた時期です。
キリスト教とユダヤ教が合流した頃からを『近代 a modern』といいます。
1700年代のカントの頃には、もうキリスト教とユダヤ教は分かち難く結びついている。
つまりキリスト教に、すべての事柄を数、量に換算する思想が混入されているので、それを体系化してまとめよう、とするのがカントの意図です。
人間の土台『時間』と『空間』
カントはよく「ア・プリオリa priori」という単語を使います。
ア・プリオリとは、人間が経験によらずに、生まれ持った認識の性質のことです。
たとえば、あなたが誰かのことを嫌いだとして、それは生まれたときから嫌いなんですか?
ちがいますよね。
その人となにかこじれて嫌なことがあって、だからあなたはその人を嫌いだと認識しているわけです。
それ、経験によって嫌いになってますよね?
だから、それじゃ経験によらない認識はどこにあるのか。
カントは、経験によらない認識として『空間』と『時間』を見出します。
たしかに私たちは生まれながらに、空間と時間の中を、決して越えることができずに生きている。
手を伸ばせばコーヒーカップに手が届く(空間)。
1日外を歩けば体は汚れる(時間)。
なぜかといえば、それがそもそも人間という種の土台なんですね。
もしかするとどこかの宇宙人ならば、空間と時間とはちがう土台でもって、世界を認識しているのかもしれない。
手を伸ばせば、体が汚れるのかもしれない。
でも人間は手を伸ばしてコーヒーカップをつかむ。
これが、地球に生存する人間という「種」の土台だから。
人間は、空間と時間の中に閉じこめられて、これら二つを認識の土台とする以上のことはできない。
ここが人間の認識のはじまりなんですよ。どうあがいても。
だからカントは『空間』と『時間』を、生まれ持ったア・プリオリな人間機能として設定しました。
数学は『時間』と『空間』をあつかう技術
ここで数学の話が出てきます。
なにを隠そう、数学とは『空間』と『時間』をあつかう技術なんです。
いいかえれば、「人間には、すべての事柄を数に換算する能力がある。その能力を研究しよう」というのが数学なんです。
だから、これがカントの神God殺しといわれる所以(ゆえん)でね。
Godがつくった世界ではなく、人間の数学能力が大事。
『空間』と『時間』を認識する能力が、この世界を、私たちが見ているように見せている。
本当は違うように見える可能性があるが、でもここが人間の限界だから、だから人間を研究するのだ、ということです。
本当は違うように見える可能性についてもカントは言及していて、『空間』と『時間』を媒体にしない状態のモノを「物自体」と呼びました。
物自体を、人間なりに把握したら、『空間』と『時間』というフィルターにかけられた姿になったということ。
その中からどこからどこまでが、人間は純粋にpureに、経験によらない認識ができるのか。
そのことを整理整頓しようよ、というのが『純粋理性批判Critique of Pure Reazon』なんですね。
なので『純粋理性批判Critique of Pure Reazon』を訳すと『人間が生まれながらに持っている数学の能力を、整理整頓しよう』となります。そしてカントは整理整頓したんです。
だからユダヤ思想にあったReasonという、すべての事柄を数、量に変換する人間の能力。
これをキリスト教のなかに完全にとりこんだ、融合させたその金字塔として、『純粋理性批判Critique of Pure Reazon』は、いまも受け入れられてるんですね。
最強の思想がキリスト教の中で体系化された、ということ。
キリスト教徒は、カントの出現に諸手をあげて喜びました。
カントの本質は神学者なんです。
これはニーチェがしつこく書いてますね。
「カントのクソ野郎、奴は神学者だ!」と。
キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』 (講談社+α新書)
神学者、イマヌエル・カントは、現代の信仰である、社会、マネー、という思想の大黒柱なんですよ。
社会なんて一切知らなかった日本人も、カントのつくりあげた大風呂敷の中で、社会に疲れ果てて、のたうちまわってるんです。
これが、「純粋理性批判」の本当の意味です。
哲ガキ的まとめ
なんだか最近の哲学って、自己啓発と一緒にされてない?
ちゃいまっせ!
哲学とは、生活の支配構造のことなんです。
「社会」や「恋愛」も、哲学がつくったんですね。
こっちに、「哲学とはなんぞや?」にたいする答えを書いてます。
合わせて読みたい↓
参考文献
『世界の思想史(下)』(シュテーリッヒ・ハンス・ヨアヒム著 草薙正夫 堤彪 長井和雄 山田潤二 工藤喜作 神川正彦 草薙千雅子 共訳 白水社 1978年)
『反哲学史』(木田元著 講談社 1995年)
あと追記で
「哲学は、なんで、どうして生まれてきたの?」
そのことを下に載せときます。
哲学の誕生秘話、2500年前の古代ギリシャの思想家たちを追いかけた、僕の哲学文章の集大成です。
引用・参考文献も巻末に書いてますよ。
なので研究者の方も使えます。
目次
1・哲学はなんでアテネで生まれた?
2・「銀」が「銀貨」になるまで
3・ギリシャ人にとっての銀
4・人々がマネーでバランスを取り合う=『正義justice』
5・最高の独裁者・ペイシストラトス
6・ピタゴラスの早すぎた反逆
7・アテネが壊れていく中で、哲学は妄想チックになってゆく
8・ロゴスってなんですか?
9・ソクラテスとプラトンの詐欺国家
10・イデア論〜僕らの時代の念仏〜
11・予定調和という破壊思想
12・僕らは、ソクラテスに支配されている